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松下幸之助のナンパに役立つ名言集


 2023年06月05日   人物別名言&格言集 
競争も必要、対立することもあっていい。だが敵をも愛する豊かな心を持ちたい。

無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。

誠意や真心から出た言葉や行動は、それ自体が尊く、相手の心を打つものです。

困難な仕事を避けてはいけない。困難な仕事に立ち向かい克服してこそ、真の経営者といえる。

自らも楽しみ人々にも喜びを与える。大切な人生をこうした心構えで送りたい。

大衆はきわめて賢明であり、きわめて公正である。われわれはつねにこの賢明にして公正な大衆の期待にいかに応え、いかに奉仕するかという点に、経営の根本をおいて仕事を進めなければならない。

松下電器は人を作るところでございます。併せて商品も作っております。

素直な心で見るということが極めて大事だ。そうすれば、事をやっていいか悪いかの判断というものは、おのずとついてくる。

自分が利を得るために、不必要に自分の膝を屈することは決してすまい。なぜなら、そうして得られた応援や協力は、また目に見えないしがらみを生み、道を暗くするからである。

人の長所が多く目につく人は幸せである。

人より一時間余計に働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、いままでよりも一時間少なく働いて、いままで以上の成果を挙げることもまた尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではないだろうか。

即断、即行できる見識と機敏な実行力は指導者に不可欠の要件だ。

社会の発展に寄与するために何をなすべきかを、お互い経営者は考えねばならない。わが業界、わが企業という考えだけをすることは許されない。

愚人の経営もいけないが、賢人の経営もいけない。衆知による経営でなければならないということだ。

人の言に耳を傾けない態度は、自ら求めて心を貧困にするようなものである。

一流の人材ばかり集めると会社はおかしくなる。世の中、賢い人が揃っておれば万事上手くいくというものではありません。賢い人は、一人か二人いればたくさんです。

心を許して遊ぶようでは、経営者とはいえない。

私には3つの財産がある。それは学校へ行かなかったこと。健康に優れなかったこと。そして、決断に弱かったことだ。だから、人が教えてくれたり、助けてくれたりして成功した。

人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。

感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。

まず熱意を人並以上に持ち続けられるかどうかが、経営者としての必須条件だ。これに知識をかけ算し、経験を足し算せねば真の知恵はわいてこない。

何事もゆき詰まれば、まず、自分のものの見方を変えることである。案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。

誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。

もの知りだけでは経営はできない。山野をのり越え苦境を切り抜けた、その汗と涙のなかから知恵を生みだした者でなければ、経営を成功させることはできない。

どんな賢人でも、その人ひとりの知恵には限りがあって、だから自分の知恵、才覚だけで事を運べば、考えがかたくなになる。視野が狭くなる。

大事なことは、理屈のやりとりではない。

どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。今、現在に最善を尽くすことである。

失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければそれは成功になる。

逆境もよし、順境もよし。要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。

私は経営を公明正大にやってきた。いかなる商品も売れるからといって不当な利益をむさぼったこともないし、この価格が適当適正だと考えたものについては安易な値引きをすることもしなかった。

山は西からも東からでも登れる。自分が方向を変えれば、新しい道はいくらでも開ける。

経営者にとって大事なことは、何と言っても人柄やな。結局これに尽きるといっても、構わんほどや。まず、温かい心というか、思いやりの心を持っておるかどうかということやね。

機会というものは真に熱意を持って事に当たっておれば、随所にあるものではないだろうか。

どうしてみんなあんなに、他人と同じことをやりたがるのだろう。自分は自分である。何億の人間がいても自分は自分である。そこに自分の自信があり、誇りがある。そしてこんな人こそが、社会の繁栄のために本当に必要なのである。

青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものである。

水の流れも澱めば腐る。経営も日に日に新しい流れがなくてはいけない。そうでないと、衰え、進歩が止まってしまう。


お互い経営をするものが、下手な経営、非能率的な経営、利益をあげない経営をすれば、そこが損をするだけではなく、その損失は全部の国民に影響するのである。

わからなければ、人に聞くことである。

衆知を集めないというのは、言ってみれば、自分の財産は自分が持っている時だけしかないと思っている人と同じやね。少しひらけた人なら・・・全世界は自分のものだと思っている。しかし全部自分で持っているのはめんどうだから預けておこう、というようなもんやな。

自分を褒めてあげたいという心境になる日を持ちたい。

迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。

いくつになってもわからないのが人生。わからない人生を、わかったつもりで歩むほど危険なことはない。

経営というものは、非常に躍動的な、しかも生きた総合芸術である。経営には真理が活かされ、善も美も活かされている。そして国家社会のために大きな貢献をするのが、経営である。こう考えると、経営というものは、ほんとうに崇高な総合芸術である。

愛のない経営が好ましくないように、愛なり慈悲の少ない政治は許されるはずがない。

決断することが経営者の仕事である。だからといって先頭に立つ必要はない。最後部で指揮を執る。先頭に立ったら、ただの一人にすぎない。

今日の最善は、明日の最善ではない。

世間には、大志を抱きながら大志に溺れて、何一つできない人がいる。言うことは立派だが、実行が伴わない。世の失敗者には、とかくこういう人が多い。

ぼくが奉公している時分に一人前になるためには、小便が赤くなるくらいにならないとあかんのやそういうことを二、三べん経てこないことには、一人前の商売人になれんぞということを、親方から聞いた。どういうことかというと、商売で、心配で心配でたまらん、もう明日にでも自殺しようかという所まで追い込まれたら、小便が赤くなるという。

「自分としては賛成しかねるのだけれど、全体で決まったことなので…」などというのは、責任者としてとるべき責任の自覚に欠けている。

いろいろ問題のあることがむしろ望ましい。経営者としては瞬時も休めるときがないという時代こそ、生きがいを感じるときである。

経営には、理屈でない、目に見えない、言うに言えない要因が働いて、想像もできないような成果を生みだすことがある。

経営にも、万一の場合に備えて、設備や資金などのダムをつくり、ゆとりをもった経営をすすめていくことが肝要である。そうすれば、いかなる経営環境のもとでも安定的な経営をすすめていくことができるだろう。

即断、即行できる見識と機敏な実行力は指導者に不可欠の要件だ。

経営とは、総合的な生きた芸術である。白紙の上に平面的に価値を創造するだけでない。立体というか四方八方に広がる芸術である。となれば、経営者はまさに総合芸術家。したがって単なる金儲け、単なる虚栄のための経営であってはならない。人生とは何か、人間とは何かという哲学がなければならない。そうでなけれぱ名画を描くことはできるものではない。

成功は運がよかったから。失敗は自分に力がなかったから。そう考えて経営をやってきた。

経営をいちばん熱心に真剣に考えるのは、中小企業の主人公だ。大企業の経営者は困難を直接肌で感じないから、おのずと行動に力弱さが出てくる。

経営学は知ることができる。しかし、生きた経営というものは、教えるに教えられない、習うに習えない、自得するしかないものだ。

経営には、勇気が必要である。その勇気は、何が正しいかというところから生まれてくる。

経営理念は、まず経営者が考えて考え抜いて、自身で心の底から、これだ、と思えるもの、さらに従業員も株主も納得できるもの、広く世間の人びとが賛成してくれるもの、そして天地自然の理にかなっているものでなければならない。

経営者に欠くことのできない条件は、体験、カン、判断の速さ、実行力、勇気の五つである。