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桑田真澄のナンパに役立つ名言集


 2023年06月07日   人物別名言&格言集 
イチローも4割・5割の打率は記録できず、6割以上失敗する。人生も同じだ。失敗しても構わない。大事なのは、失敗してもそこから起き上がることだ。

目標に向かっていく姿勢がない選手は要らない。

大物とは他人の評価を気にしない。

ある日、中学校の授業中に先生の行動の中で面白いことに気がついたんです。それは、試験に出る問題は、必ずと言っていいほど先生が黒板をポンポンと2回叩いていることに気がついたんです。ちょっとした動作なんですが、そういう癖が無意識に出ている先生がいた。それで、「あー、これテストにでるんだなぁ」と思ってチェックしていると見事にテストに出てくる。そこで今度は他の先生の行動も注意深く見てみると、「よーく覚えておいてくださいよ!」というフレーズを言った箇所はやっぱりテストに出る確率は高かった。こうして、人のちょっとした仕草や言葉からも、癖や傾向を見て取れることが分かり、試合で打者心理を読む時にとても参考になった。

自分は怪我や病気なんてしない、僕はそう思っていた。でも、スポーツをしていれば、そんなことは決してない。怪我とはうまく付き合っていくべきだし、怪我から多くのことを学び取ることができる。

格好悪くていい。"格好悪い" とは人の評価だからである。僕は自分が充実した人生を送るために生きているわけで、周囲の人から見て格好いいことをするために生きているわけではない。

世の中には、永遠なものはない。家族、友達、命、財産、何ひとつ変わらないものはない。ゆえに、一瞬一瞬を精一杯生きたい。

人生にマイナスはないですね。マイナスはプラスにするための準備期間だと思います。

いい事はもちろん、悪い事も視点を変えて良い試練だとポジティブにとらえることにより、怒ったり落ち込んだりすることなく、何事も自分の成長の糧にすることができる。

(米大リーグ挑戦中、不運なケガに見舞われた時の言葉)野球の神様が “まだメジャーは早い。もっと準備をしなさい” と言ってくれたんだと思う。

(メジャー初登板での言葉)きょうは『うれしい』しかない。夢を実現するチャンスをいただけて、心の中で野球の神様に『ありがとう』と言いました。

野球も人生も “うまくいかない” のが当たり前。「超マイナス思考」で物事に向き合えば、少しのことでプラスに変換できる。積極的に行きて行くことができるのだ。

長い人生の中、常に成長しつづけることができるわけではないが、基本的なことを諦めずにやり続けていると、ある日、努力が報われて急にできるようになりたかったことができるようになる時期が来る。その収穫期のような時期のため、日々マイペースでいいので諦めずに努力を続けていく必要がある。

常に第一感を忘れるな。

自分にとって、タイトルとはアイスキャンデーの当りの様なもの。 当たれば当然嬉しいけど、たとえ、当たらなくてもアイスキャンデー一本分は既に楽しんでいる。

目標を達成できないからダメっていうことはない。

どんな選手もいいときばかりではない。打たれても気持ちを切り替え、悪い時を短くし、いい時を長くするのが、プロの世界で生きていくには大事。

言うこととやることが一致しているから、言葉に説得力がある。

「これであきらめるなら、お前の思いはその程度なんだよ」と、神様に試されているような気がする。

試練が人を磨く。

もともと、野球のルールは教育的ではないからね。僕も、中学生の野球チームを指導しているけど、時々、戸惑うこともあるよ。それに、審判にいちいちアピールしなければ認めてもらえないこともたくさんあるよ。

人間は目に見えないものをあまり信用しない。でも僕は目に見えないもの、その力を大事にしたいんです。

PL学園もそうでしたが、野球部にもいろいろなしきたりがあるみたいですね。しかし暴力や理不尽な命令は絶対ダメ。野球界には上下関係を履き違えている人が多い。

リハビリを続けて、少し投げられると感じたとき、10mの距離から20球だけのキャッチボールができた。そのとき、僕は小さな夢を叶えたと思った。

一球投げるのが復活じゃない。元いた位置に戻ることが僕の復活ですから。

小さいころ、マウンドに立ったら、最後までそこで自分が投げたいと思ったでしょ? 僕は今だって、その気持ちなんです。

僕が指導している麻生ジャイアンツの中学生たちには、今から野球エリートを目指してもらいたいと思って指導している。練習時間もダラダラ設定せずに、効率よく短く練習し、遊ぶ時間、勉強する時間などを作るようにしている。

僕が野球界で初めてウェイトトレーニングを取り入れた時、周りはなんて言いました? なんて馬鹿なことをしているんだ。でも、今はどうです。正しいことなんて誰にもわからない。これまでの常識とは違う力の出し方だってある。

がむしゃらな努力は無駄だ。

一心不乱に根性だけで練習に没頭したことは一度もなかった。やるべきことを精査し、効率性を重視しながら、練習を積み重ねていた。

真夏の暑い時期に一日練習をしたり、メンバーだけしか練習させない学校もあるみたいですね。1000本ノックや1000球投げ込みのような練習も、未だにあると聞いています。同じ野球人として悲しくなりますよね。

ひたすらノックを受けることは、忍耐力を養ったり、下半身を鍛えるためにはいいかもしれない、しかし、試合で必要なのは普通のゴロを着実にさばける技術である。何メートルも走ってボールに飛びつく練習よりも、正面のゴロを軟球も処理する方が選手の守備力は確実に上がる。

僕らの高校時代には厳しい上下関係があった。加えて「練習中は水を飲んじゃいけない」、に代表される非科学的な考えも蔓延していた。

複雑な気持ちなんて全然ないよ。だって人間、いずれはそうなるわけじゃない。みんな同じだよ、時代は流れる。それは自然なことだからね。

運動部員が授業中に居眠りするのは、日本全国の学校で見慣れた光景かもしれない。しかし、それは本来あるべき学生の姿ではない。僕は、運動部員こそ、勉強とスポーツの両立を求めるべきだと思っている。

出るくいは打たれると言われるけれど、ぼくの場合、地面にめり込んでもなお打たれます。

いま振り返れば怪我をしてよかったなと思える。今後僕が指導者として若い世代と向き合っていくとき、彼らの苦しみや痛みを理解し、アドバイスを送ることができるからだ。怪我をしたときはとてもショックだったが今ははっきりと言える。怪我は僕にとって、かけがえのない財産であり勲章だ。

僕の右肘と右の足の足首には傷跡がある。どちらも試合中に負った怪我を治すために、メスを入れた跡だ。僕場この二つの傷を、勲章だと思っている。右肘にメスを入れたのが、27歳の秋。そして、右足首にメスを入れたのが39歳の秋。

野球しかわからない人間にならないように気をつけているのだ。野球だけでなく、勉強や遊びからも、忍耐力や責任感、自立心などを養い、自分を高めることができると思う。

日本の指導者にどうしても伝えたいことがある。指導者は「選手に教える」のではなく「選手とともに考え、ともに歩む」存在だ。“金の卵” は大事に扱わないと、殻が簡単に割れてしまう。今こそ、指導者のレベルを底上げしなければ、日本野球の更なる発展はない。

スポーツに怪我はつきものだ。でも、怪我の再発防止を心がけることはできる。念入りにストレッチをする。身体の柔軟性を保つ。お風呂の中でマッサージをする。お風呂で自分の指でマッサージすれば、握力がつく。怪我とはそうやって地道に付き合っていくものなんだ。

単調なリハビリを続けるのは、とてもつらいことだった。手術を受けて成功した人はいるけれど、リハビリに成功した人は少ない。それは、「今日はこのくらいでいいや」というほんのわずかな慢心が生まれるからだ。

1997年4月6日。僕はゆっくりと東京ドームのマウンドへ向かって歩いた。僕の横を守備につく選手たちが走っていく。マウンドにあがり、手術した右肘をプレートに置いて、マウンドに顔を伏せた。「帰ってきました。ありがとうございます」 心からお礼の言葉をつぶやいた。

原因があって、結果がある。サボったら、サボっただけの結果しか出ない。野球に携わるすべての人が、スポーツマンシップを意識したい。

決して量ではない。よくいわれるような汗と血の結晶がプロ野球選手を生むわけではない。一番大事なのは質。超効率的に、そして超合理的に練習し、努力することで僕は生き残った。だからこそ、無駄な努力は一切する必要がないと僕は実感している。

努力は、量ではなく質である。短時間で、効率的、合理的に積み重ねてこそ成果がある。そして、「表の努力」と「裏の努力」を両立できてこそ、努力は報われる。

人間は自分一人では何もできない。だからこそ、周囲の人たちに感謝しつづけたい。

僕は中学生の時に、将来はPL学園、早稲田大学、読売ジャイアンツという目標を立てていたので、小学生時代に苦手だった勉強も頑張って、良い成績を取らなければいけなかった。当時の野球部は毎日朝練があり、放課後も遅くまで練習していたので、勉強する時間があまりなかった。しかし、時間がない中で、毎日、効率的に合理的にコツコツと勉強したことで成績が上がっていった。

どんなに調子がいいときでも、どんなにもてはやされたとしても、常に謙虚であり続けたい。仁義ある野球人の共通点。それは謙虚であるということなのだ。

注ぎすぎるということはないのが愛情。愛情をいっぱい受けた人間は、心が温かい人間、周囲に愛情を注ぐことができる人間に育つ。

ベースボールと野球の違いとはいったい何なのか。それは、野球を通じて人間性を磨こうとする姿勢にあると思っている。礼儀を重んじたり、道具を大切にしたりすること。ひとつひとつのプレーに決して手を抜かないこと。技術だけでなく、心も大切にすること。

ピッチャーの僕が甲子園でなぜ6本の本塁打を打てたのか。高校時代にはバッティング練習をあまりしたことがなかったけれど、それこそ効率的にバッティング練習をしてきたからにほかならない。それは、一日たった「50回の素振り」だった。ただこれは試合を想定して真剣にやった。

プロ野球選手となったあとも、無茶な努力はしなかった。怪我をしたら意味がないからだ。無茶な練習の代わりに、23年間、毎日毎日「50回のシャドウピッチング」を必ず続けた。時間にしてみれば1日10分とか15分。

僕の野球人生にはスキャンダルや悪い印象が付き纏った。その多くは僕自身が野球以外に社会経験がなく、甘かったとしか言いようがないことばかりだった。時を経た今だからこそ、すべて潔白だと証明されたが、やはり自分自身に甘さがあったことは認めざるをえない。

単に野球がうまいから、エリートというわけではない。野球もうまくて「教養」もある。自分を律する強い心と、チームを一つにまとめる能力を備える。そんな人間力のある人物こそ、真の野球エリートである。

チーム作りも、選手としての精神面もすべてバランスが大事。チーム編成にはベテラン、中堅、若手の協力が不可欠。選手としては、緊張とリラックスと自信をバランスよく兼ね備えたい。

2年間のメジャーリーグ生活で、僕は胸を痛めることが多かった。チームメイトの誰ひとりとして、グローブを磨いているところを見たことがないし、グローブやバットを蹴ったり、放り投げたりするのも日常茶飯事だったからだ。

野球界にはプロアマ問わず、課題が山ほどあるのが現実だ。「野球選手が勉強しない」「素行が悪い」「ベンチや応援団が汚いヤジを飛ばす」といった問題は、日本に野球が伝わってから140年近く経っても変わっていない。

社会と野球の関係をより密接にしていくことで、野球界をさらに発展させていく。それこそ、僕を含めて野球界にお世話になった人が果たすべき使命だ。

練習したからといって、すぐに結果が出るものではない。毎日コツコツ努力していると、人間はある日突然、成長する。

野球は一人ではできない。みんなでやるスポーツだから、チームメイトと心を一つにしたい。だからこそ、数字や結果と同じくらい、目に見えない心を大切にする。それが僕がたどり着いた ー 心の野球。

勉強で大切なことは100点をとることではなく、50点でもいい。次は51点を以上を目指すという姿勢が大事なのだ。

今まで経験したことのないことを、毎日経験できる。これは最大の楽しみです。

リハビリのために通ったジャイアンツ球場で、僕はできることを全力で続けた。毎日、外野のフェンス沿いを走っていたら、その跡は芝生が剥げてしまった。それが「桑田ロード」と名付けられたことを知ったのはずいぶんあとのことだ。

「万里一空」世界のすべてのものはつながっている。雄大な自然のように、謙虚に、そして堂々と、胸を張って生きていきたい。

野球選手であろうと、サラリーマンであろうと、大工さんであろうと、一人ひとりに役割がある。その役割を全うする、仕事を通して自分を磨いていくのがプロフェッショナル。

野球だけでなく勉強でも頑張る姿勢、諦めないという姿勢がスポーツマンとしてのあり方ではないだろうか。

僕は、ダルビッシュ君のことを天才だと思ってるんです。

生きる目的は自分を磨くことだと僕は思う。だから試練や困難は、僕に与えられた砥石なんだ。

遠回りしてやることも、素晴らしいこと。

スピードガンなんていらない。粗大ゴミですよ。

プラスの中にはマイナスがあるし、マイナスの中にはプラスがある。

野球をやっていれば、スーパースターになりたいって気持ちになってしまうことってあると思う。でも、僕は巨人の二軍で練習していたときも、パイレーツでリハビリしていたときも、エースじゃなきゃやってられないっていうんじゃなくて、野球をやりたいと思っていたから、我慢できたんだ。

努力は、嘘をつかない。

雲の上ではなく、自分の頭の中に理想像があります。

僕は、投げて、打って、走って、そしてメンタル的にも高みを目指して、その総合力で勝負しようと思ったんです。だからこそ、野球以外のことも大切だと感じて、そこから勉強をするようになり、色々と本を読むようにもなりました。その結果、判断力、忍耐力、分析力、そういった色々なことを学べたと思います。

桑田真澄の野球は心の野球です。

僕がPL学園で清原和博、田口権一という190センチクラスの選手2人を目の当たりにした時に「普通に野球をやっていては自分はこのまま終わってしまうな。彼らと競い合っても駄目だ。自分は自分らしさを大切にしよう」と強く感じました。

他人は失ったものに目を向けますが、僕は得たものに目を向けます。

昔のことは振り返らない。今を精一杯生きる。それが一番いいんじゃないですか。

僕たちが高校生の頃までは、練習中の水分補給はNGでしたが、今は逆に「積極的に水を飲みさい」と、指導されている時代です。また、昔はピッチャーは「肩を冷やすな」と言われて、登板直後でも夏でもとにかく温めるために長袖のインナーを着ていましたが、今では当たり前のように登板後はアイシングします。だからこそ、指導に携わっている大人たちが、きちんと勉強して皆で実践することにより、子供たちに正しいトレーニング方法を伝えていくことが大切だと思います。

一年間だけではダメです。一生です。僕は一生のスケジュールを立てています。

とにかく、がむしゃらにやれ。

やるか、やらないかですよ、人生は。やればそれだけのものが返ってくるし、やらなければそのままですよ。

僕は日本の野球は「世界一」だと思っています。同時に野球にたずさわっている人全員が同志であり、仲間だと思っています。僕がパイレーツでプレーしていた時にも、メジャーの関係者から「日本の野球育成システムは素晴らしいね」とよく言われました。しかし、そんな日本野球界でも良い意味でも悪い意味でも課題は山積だと思っています。

体罰は指導者の勉強不足による、いちばん安易な指導方法で、チームや選手は本当の意味では決して強くならない。

200階まで行きたい。エレベーターもエスカレーターもダメとなったら、もう階段しかないでしょう。

体が小さかった僕が、なぜ高校野球でストレートとカーブの球種だけで戦ってこれたかというと、それは勉強で培った分析力も大きかったと思います。

例えば、相手のバッティングフォームがダウンスイングであった場合、気をつけたのは高めのストレート1箇所だけを注意し、低めのストレートと低めのカーブを投げておけば、まず打たれることはない。逆にアッパースイングの打者には、初球に真ん中高めのストレートを投げると見事に打ち上げてくれる。そういった体験から投球ルールを見つけ出すこと、これもやはり勉強から学んだことです。

僕自身は、ズバ抜けた体格とか技術を持っているとは思ってなくて、どちらかというと体が小さいことにコンプレックスを持っていたぐらいだったんです。自分自身を客観的に分析した結果、桑田真澄という選手はたいしたこと無い選手だと。

自分に甘くそして、優しく、子供達に厳しい指導者は要らないですよ。たばこを吸いながら、ミーティングをするのは止めて下さいよ。練習中に、煙草すら我慢できない弱い人に、何が指導できるんですか?昼食に、ビールなど、アルコールを飲んで練習するのはよくないですよ。夜まで、アルコールを我慢できない自分に甘い人が、子供達に何を指導するんですか?不思議ですよね? 子供達を指導する前に、誰かに指導してもらってください。

人はいろんなことを言うかもしれないけど、僕の人生なんだからカッコ悪くてもいい。僕は野球しかできないし、とにかく野球が好きなんで、最後まで追い続けて、燃え尽きたらボールをそっと置きたいんだ。それを人にカッコ悪いと言われても、自分の人生、自分が納得できればそれでいい。