ゲーテの心のうち
生の歓びは大きいけれども、自覚ある生の歓びはさらに大きい。
愛人の欠点を美点と思わないほどの人間は、愛しているのではない。
自分自身を知るのは楽しんでいる時か悩んでいる時だけだ。
自分の知っていることは自慢し、知らないことに対しては高慢にかまえる者が少なくない。
意志の力で成功しない時には好機の到来を待つほかない。
行動する者は、つねに没良心である。省察する者以外、誰にも良心がない。
迷信は能力的な、巨大な前進的性格の遺産であるが、不信仰は弱者の、卑怯者の後退し、束縛せられた連中の所有物である。
言論の自由を呼号するのは、それを濫用しようとする人間のみである。
翻訳者とは、半分しか姿を見せていない美人を愛嬌たっぷりと、われわれに向ってほめそやす仕事熱心なたいこもちである。
身分不相応の生活をする者は馬脚を現わす。
賢者にまるで過ちがなかったとしたら、愚か者はまったく絶望するほかはないだろう。
賢い人々はつねに最高の百科全書である。
詩とは成熟した自然であり、哲学とは成熟した理性である。
花を与えるのは自然。編んで花環にするのは芸術。
蚕はつむぎながら、だんだん死に近づくとしても、糸をつむがずにはおられましょうか。
苦しみが残していったものを味わえ!苦難も過ぎてしまえば甘美だ。
自由でないのに、自由であると考えている人間ほど奴隷になっている。
立法者にしろ、革命家にしろ、平等と自由を同時に約束する者は空想家でなければ山師である。
自然は絶えずわれわれと語るが、その秘密を打ち明けはしない。われわれはつねに自然に働きかけ、しかも、それを支配するなんらの力もない。
義務の重荷からわれわれを解放することのできるのは、良心的な実行のみである。
結婚生活はすべての文化の始めであり、頂上である。それは乱暴者をおだやかにするし、教養の高い者にとっては、その温情を証明する最上の機会である。
検閲を用い、要求するのは権力者であり、言論の自由を求めるのは身分の低い人たちである。
批判のできない本からしか、真に学びとるものはない。批評しうるような本は、われわれから学ぶべきである。
憎しみは積極的な不満で、嫉妬は消極的な不満である。したがって、嫉妬がすぐに憎しみに変わっても怪しむに足りない。
才能はひとりでに培われ、性格は世の荒波にもまれてつくられる。
愚者と賢者はともに害がない。半分の愚者と半分の賢者だけが、いちばん危険である。
新聞を読まなくなってから、私は心がのびのびし、実に気持ちがよいです。人々は他人のすることばかり気にかけて、自分の手近の義務を忘れがちです。
時を短くするのはなにか。活動。時を堪えがたく永くするのは何か。安逸。
王様であろうと、百姓であろうと、自己の家庭で平和を見出す者が、いちばん幸福な人間である。
男子は、婦人の占めうる最高の地位に婦人を置こうとしております。家庭の支配よりも高い地位がほかにありますか。
神と自然から離れて行動することは困難であり、危険でもある。なぜなら、われわれは自然をとおしてのみ神を認識するのだから。
科学は全体としてつねに人生から離れる、ただ迂路をたどって再びそこへ還ってくる。
空気と光と友人の愛。これだけ残っていれば、気を落とすことはない。
若い娘が学ぶことを、若い男が教えることを、愛する場合に結ばれる青春時代の友情は、ひとつの美しいことがらである。
自由も生活も、これをかちとろうとする者は、日ごとに新しく闘いとらねばならない。
知恵の最後の結論は、こうだ、およそ生活でも、自由でも日々にこれをかちえて、初めてこれを享有する資格がある。