喜びは、自分を忘れる事にあるのよ。
太陽ばかりを見ていては影は目に入らない。
もっとも暗い雲の下でも、人間は清らかに美しく、楽しく生きられる。
もっとも重い障害をもちながら、こんな偉業を成し遂げられることを人々に教えているのです。
失敗したら初めからやり直せばいいの。そのたびにあなたは強くなれるのだから。
どんなささやかな成功も、他人の目には触れない挫折や苦難の道を、経ているものなの。
全力を尽くし、結果を待つ。
人の唇から漏れる微笑みを、自分の幸せと感じられる人間に私はなりたい。
知識は愛であり光であり、未来を見通す力なのだ。
雲に触ることは出来ないでしょう?それでも雨が降ってくるのはわかるし、暑い日には、花も乾いた大地も、雨を喜んでいるのがわかるでしょう?愛もそれと同じなの。愛も手で触れることは出来ないけれど、愛が注がれる時の優しさは、感じることが出来るでしょう?愛があるから、喜びも湧いてくるし、遊びたい気持ちも起きるのよ……
私の心は今朝喜びに高鳴っています。なんと、奇跡が起こったのです!……2週間前までは飼い慣らされていない小さな生き物であった者が、一人の穏和な子供に変身しているのです。ヘレンは、落ち着いた幸せそうな表情で、鉤針を使ってスコットランド産の赤い毛糸で鎖編みをしながら、こうして手紙を書いている私の傍らに座っています。彼女は今週編み物を習い覚え、その成果をとても誇りにしています。(中略)今彼女は、私がキスするのをすなおに受け入れています。そして、とくに穏やかな気分の時には、1、2分間私の膝に座ろうとします。……大きな一歩、重要な一歩が踏み出されたのです。あの小さな無作法者は、従順さについての最初の授業を習い終えました。……いまや、子供の魂の中に芽生え始めた優雅な知性を導き形成していくことが、私のたのもしい仕事になっているのです。
参考:ヘレンケラー第2章(2)
人の財貨のうち、自己の収入を支えうると考えられる部分は、彼の資本と呼ばれる。
全ての金銭は信念に起因する。
懐疑論という道を進むためには、曖昧さの谷を通り抜けねばならない。
個人の野心は公共の福祉に資する。
国富の原因たるものは労働一般である。
人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」といった形で事業を運営することにより、得られるものである。そして人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手によって導かれた結果なのである。
多くの場合、個人の利益の追求こそが社会を豊かにするのだ。それは豊かな社会を目的とするよりもずっと効果的だ。私は公益のために商売をなした者が成果を上げた例を知らない。
女性が競うのはいつも男性についてだ。
公共の利益のために仕事をするなどと気どっている人びとによって、 あまり大きな利益が実現された例を私はまったく知らない。
国民の富とはその国民の年々の労働の生産物であり、これを改善する最大の要因は分業である。
我々が夕食を食べられるのは、肉屋や酒屋、パン屋の慈悲によってではない。各々が自らの利益を追求した結果なのだ。
人々の懐から金を吸い取るのは、政府が最も早く取り組むことだ。
物乞い以外に同胞の慈悲に頼ろうとする者はいない。
倫理観が欠如すると資本主義は暴走する。
消費はすべての生産の唯一の目標であり目的であって、生産者の利益は、それが消費者の利益を促進するのに必要である限りでのみ留意されるべきである。この命題は完全に自明であり、それを証明しようと試みるのはばかげているだろう。ところが重商主義では、消費者の利益はほとんど常に生産者の利益の犠牲にされており、消費でなく生産がすべての産業や商業の究極的な目標であり、目的だと考えているように思われる。