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森田正馬の名言(その2)


 2022年06月10日   人物別名言&格言集 
もし小さな事が気になり、大きな事が気にならなければ、それは思慮の足らぬ人のこと。

★「死ぬのは恐ろしい。生きるのは苦しい」。言い換えれば、「死を恐れないで、人生の思うままの目的を、楽々とし遂げたい」という事になる。これが神経質の特徴であって、無理にも、自然に反抗しようとする態度になり、死は当然恐ろしい。
大なる希望には、大なる苦痛・困難があると、極めて簡単な事を覚悟しさえすれば、それだけで神経質の症状は、強迫観念でもなんでも、すべて消失するのである。 既に神経質の全治した人には、これが簡単に理解できるが、まだ治らない人には、全く嘘のような法螺のようか話である。

神経質が、種々の症状に悩むのは、その限りなき欲望に対する過渡期であり、終には悟りに達すべき迷妄の時期である。 それは、自分の苦悩のみを誇張して、之に執着し、自分の本来の心を自覚する事の出来ない時期である。もし之が、ある機縁に接して、一とたび生の欲望に対して、心機一転した時、初めてそこに、従来の苦悩が雲散霧消するのである。

一つひとつ考えて行けば、必ず行きつまるところへ行くものです。

「いやなものが好きになる」「不潔が平気になりたい」「人前で恥ずかしくないようになりたい」かく考えている間は、永久に強迫観念は当然不治である。ただこれを思い捨てる、すなわち「嫌いなものは嫌い」「人前は恥ずかしいものである」と事実そのままに見るとき容易に嫌いは好きになり、人前も恥ずかしくなくなるのである。これが私のいわゆる「思想の矛盾」で、逆になる所以である。

★恐れるべきを恐れてはならないというのを「思想の矛盾」と言い、悪智といい、それは決して人間の心情の事実ではないのである。

☆自分で善人になろうとする理想主義は、わたしのいわゆる思想の矛盾で、反対の悪人になり、自分が悪人になれば、かえって善人になる。

自分の療法は思想の矛盾を避け、全ての行動、思想を感じ、直観という事から出発させるように指導する。

☆宇宙の現象は全て、ただ発動力と制止力とが常に平衡状態にある時のみ、調和が保たれている。

机上論で腹式呼吸でもやり、周囲のことも忘れて、心がひとつになった時が、仕事が最もできるというのは思想の間違いである。精神が四方八方に働いて、しかも現在の仕事の最も適切にできる状態を「無所往心」というかと思います。これがいわゆる悟りでありましょう。

感情はそのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、一昇り一降りして、ついに消失するものである。

各々その人の病的傾向をも利用して、いたずらにこれを否定抑圧することなく、人の本然の能力を発揮させようとするものである。

☆我と周囲の境遇との間に、よく駆け引きのできるのが「不即不離」である。この我を否定したり、抑圧したり、折角得難い境遇を見捨てたりするところに、全く「不即不離」の働きができなくなるのである。

★人生は調和である。

心は周囲の事情の変化につれて、常に絶えず移り変わるもの。

恨みや憤りや色々の欲望は全て人の本能である。人の生存上欠くことのできない事は食欲と同じである。

人もし各々その職業に興味を有して、工夫し、研究し、発展し、これを楽しんでいくならば、その仕事は常に遊び事である。

空は晴れるべきだと決めつけるな。小さな雲さえ気になり始める。

人間は自己の精神の活動を喜ぶ内部の自我が成長して大きくなるのを楽しみとする。