アルフレッド・アドラーの名言集(その2)
感情は車を動かすガソリンのようなものだ。感情に支配されるのではなく、利用すればいい。
あらゆる行動には目的がある。
悩みをゼロにするには、宇宙でたった一人きりになるしかない。
人は正しいことをして注目されないと、ときに「負の注目」を集めようとする。人生を惨めにするような努力はやめるべきだ。
誰かが始めなければならない。他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
あなたのために他人がいるわけではない。「○○してくれない」という悩みは、自分のことしか考えていない何よりの証拠である。
過去を後悔しなくていい。未来に怯えなくていい。そんなところを見るのではなく、いまこの時に集中しなさい。
人生最大の危険は、用心しすぎることである。
行動に問題があるとしても、その背後にある動機や目的は、必ずや「善」である。
人は貢献感を感じ、自分に価値があると思えるときにだけ勇気を持つことができる。
カッときて自分を見失い怒鳴ったのではない。相手を支配するために、怒りという感情を創り出し利用したのだ。
悲しいから涙を流すのではない。相手を責め、同情や注目を引くために泣いているのだ。
叱ると一時的には効果がある。しかし、本質的な解決にはならない。むしろ相手は活力を奪われ、ますます言うことを聞かなくなるだろう。
人の育て方に迷ったときは、自分に質問するといい。「この体験を通じて、相手は何を学ぶだろうか?」と。そうすれば、必ず答えが見つかるだろう。
自分のことばかり考えてはいないだろうか?奪う人、支配する人、逃げる人、これらの人は幸せになることができないだろう。
世話好きな人は、単に優しい人なのではない。相手を自分に依存させ、自分が重要な人物であることを実感したいのだ。
苦しみから抜け出す方法はたった1つ。他の人を喜ばせることだ。「自分に何ができるか」を考え、それを実行すればよい。
使い続けたライフスタイル(生き方の癖、性格)が支障を来しても、人はそれを変えようとはしない。現実をねじ曲げてでも、自分は正しいと思い込む。
できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。今の自分を認める勇気を持つ者だけが、本当に強い人間になれるのだ。
たとえ不治の病の床にあっても、天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝し余生を充実させるか、それは自分で決めることができる。
もっとも重要な問いは「どこから」ではなくて「どこへ」である。
強がりはコンプレックスの裏返し。
劣等感を抱くこと自体は不健全ではない。劣等感をどう扱うかが問われているのだ。
敗北を避けるために、ときに人は自ら病気になる。「病気でなければできたのに」と言い訳して、安全地帯に逃げ込み、楽をするのだ。
どうしたらみんなを喜ばすことが出来るかを、毎日考えるようにしなさい。そうすれば憂鬱な気持など、吹き飛んでしまいます。反対に自分のことばかり考えていたら、どんどん不幸になってしまいますよ。
子どもは親が貼ったレッテル、たとえば「しっかりした子」「甘えん坊」「おてんば」「恥ずかしがり屋」などに対して過剰に応えようと努力する。
子供の教育について最悪の間違いは、親や教師が、誤った道にさまよっている子供らに向かって、悪い結末を予言してやることである。
扱いにくい相手とうまく付き合うには、相手が何とか自分を優秀に見せようとして、躍起になっていることを念頭に置くことだ。そしてその観点から相手と付き合ってみることだ。
生まれ変わる必要はない。感情の使い方を変えればいい。
幸せの三要素は、自分自身か好きかどうか。よい人間関係を持っているかどうか。そして、人や社会に貢献しているかどうか。
人の心理は物理学と違う。問題の原因を指摘しても、勇気を奪うだけ。解決法と可能性に集中すべきだ。
配偶者を従わせ、教育したいと思い、批判ばかりしているとしたら、その結婚は上手くいかないだろう。
兄弟間で得意分野が異なるのには理由がある。それぞれが違う分野で認められようとするからだ。
(親に)ガミガミ叱られ続けた者が暗い性格になるとは限らない。親の考えを受け入れるか、親を反面教師にするかは、自分の意志で決められるからだ。
「私は○○である(自己概念)」「世の中の人々は○○である(世界像)」「私は○○であらねばならない(自己理想)」性格の根っこには、この3つの価値観がある。