プラトンの名言
はじまりは労働の最も重要な部分である。
よく始められた仕事は、半ば終ったものである。
今この瞬間、私たちは眠りながら夢を見ているのか、それとも起きて話をしているのか、誰が証明できるというのだろう。
暗闇を恐れる子どもは問題ではない。光を恐れる大人こそ、人生の悲劇である。
人が自分を助けてくれるとしても、助けてくれないとしても、怒るべきではない。
政治において、人は都市や州を治めるのに最もふさわしい人に投票すると誰もが思っている。しかしときに顔のいい者や、単に雄弁な者に投票してしまうものだ。
教育とは、子どもたちが正しい望みを持つように教えることである。
人を悪く言う者は、誰からも信じられないだろう。
この世界には、三種類の人間がいる。尊い順に、知恵を愛する者、名誉を愛する者、そして知恵を愛する者である。
物語を語る者が、社会を支配する。
愛とは、深刻な狂気である。
愛の狂気は、天の恵みの中でも最良のものである。
人の行動は、三つの根源からなる。欲望、情動、そして知識だ。
女を男と同じように働かせたいのなら、男と同じ教育が必要である。
自分に打ち勝つことは勝利のうちで最大のものである。
ギリシャ神話によれば、人々は四本の腕に四本の足、そして二つの顔を持っていたという。その力を恐れ、ゼウスは人を二つに分けた。それゆえ、人は自らの半身を探しているのだ。
参考:2つに引き裂かれた性は…
優しくあれ。人は誰しもみな、戦っているのだから。
もし人が自身の半身と出会ったなら、それがどんな相手であれ、愛と友情と親密さの最中で我を忘れ、たとえひとときでも離れることはできなくなるだろう。
人の器は、力を持ったとき、その力で何を為すかで計られる。
子どもとワインには、真実がある。
無学とは、あらゆる諸悪の根源である。
私は考えているのだ。事実を並べて混乱させてくれるな。
政治に参加しない罪に与えられる罰は、愚かな者に政治をされることである。
規則を守らないことへの最も重い罰は、愚かな者に規則を作られることである。
善人に法は要らないが、悪人は法の網目を潜る。
私は生きている中で最も賢い人間だ。なぜなら、私は何も知らないということを知っているから。
どんなに遅くても、歩んでいる者を留めてはならない。
戦争の終わりを見た者は、死者だけである。
政治に無関心な善人は、悪人に支配されるだろう。
賢いものは、何かを伝えるために話す。愚かな者は、ただ話すために話す。
音楽とリズムは魂のもっとも深いところに至る道を持っている。
子どもを無理矢理学ばせてはならない。彼らが楽しいと思う方向に導くことができれば、それぞれが自らの才能を見つけることができるだろう。
勇気とは、恐れるべきものと恐れなくてもいいものを区別できる知恵である。
徹底的にどうしようもなく道を踏みはずした悪人に対しては、怒りをあらわにすべきである。
子供と動物はずいぶんよく似ています。どちらも自然に近いのです。でも子供が狡猾な猿よりも良く理解する事が一つあります。それは偉人の立派な行為のことです。
恋に肩をたたかれた時には、 常日頃は詩的な調べに耳をかさないような男でさえ詩人になるのだ。
嫉妬深い人間は、自ら真実の徳をめざして努力するよりも、人を中傷するのが、相手を凌駕する道だと考える。
哲学というものは、たしかに結構なものだよ。ひとが若い年頃に、ほどよくそれに触れておくぶんにはね。しかし、必要以上にそれにかかずらっていると、人間を破滅させてしまうことになるのだ。
全ての心は、歌を歌っている。だがその歌は、他の心が歌い返してはじめて完璧なものとなる。歌うことを望むものは、その歌に辿り着くだろう。
愛する人の前では、誰もがみな詩人である。
愛に触れると誰でも詩人になる。
思慮を持ち正義をかざしてその生涯を送らなければ、何者も決して幸福にはなれないだろう。
哲学者の全生涯は、まさに死に至ることと、その死を成就すること他ならず。
自分に打ち勝つことは、勝利のうちで最も偉大な勝利である。
少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる。