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岡本太郎のぶっ飛んだ名言集


 2023年12月09日   人物別名言&格言集 
自分自身の生きる筋は誰にも渡してはならないんだ。この気持ちを貫くべきだと思う。

安易な生き方をしたいと思ってしまったときは、そんな自分を敵だと思って闘うんだ。結果が悪くても、自分は筋を貫いたんだと思えば、これほど爽やかなことはない。

僕だってしょっちゅう行き詰っている。行き詰った方が面白い。それを突破してやろうと挑むんだ。もし、行き詰らないでいたら、ちっとも面白くない。

過去にこだわったり、未来で誤魔化すなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ。

人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したか、ではないだろうか。

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。

手なれたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ。

僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ。

親の顔色をうかがっていいなりになるとしようか。が、それが君自身の人生なんだろうか?そうじゃないだろう。

本当の人間は、みんな透明な目をもった猛烈なシロウトなのである。自分の専門に対しても。

ただ僕はありのままの自分を貫くしかないと覚悟を決めている。それは己自身をこそ最大の敵として、容赦なく闘い続けることなんだ。

ひたすらそれを貫いてみる。はたから見れば、あの人はなんという意志の強い人なんだろうということになるんだ。

恐怖感は自分一人でなく、これは人類全体の運命なんだと思って、取り組んでいけば、以外に救われるんじゃないか。

まず、どんなことでもいいからちょっとでも情熱を感じること、惹かれそうなことを無条件にやってみるしかない。情熱から生きがいが湧き起こってくるんだ。情熱というものは、「何を」なんて条件付きで出てくるもんじゃない、無条件なんだ。

自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。

人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また敵なのだ。

我が人生、他と比較して自分を決めるなどというような卑しいことはやらない。ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、脇目もふらず突き進むだけだ。

生涯を通じて、瞬間瞬間の危険に賭けるのが真の人間の在り方だと思う。

自分をぶっ壊してやろうというつもりで、そのくらいの激しさで挑まなければ、いままでの自分を破壊して、新しい自分になることはできない。

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹を決めて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。

持って生まれた性格は、たとえ不便でも、かけがえのないその人のアイデンティティなんだから、内向性なら自分は内向性なんだと、平気でいればいい。

芸術なんてもの、それを見極めて捨てたところから開けるものなんだ。

ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。僕は幸福という言葉は大嫌いだ。

他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら、絶対的な自分というものはなくなってしまう。

挑戦を避けたままで降りてしまった奴には新しい人生などはない。ただただ成り行きに任せて虚しい生涯を送るに違いないだろう。

失敗したっていいじゃないか。不成功を恐れてはいけない。人生の大部分の人々が成功しないのが普通なんだ。

僕は口が裂けても諦めろなどとは言わない。それどころか、青年は己の夢にすべてのエネルギーを賭けるべきなのだ。勇気をもって飛び込んだらいい。

いままでの自分なんか蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。

決意の凄味を見せてやるというつもりで、やればいいんだよ。

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ。

アルフレッド・アドラーの名言集(その3)


 2023年12月05日   人物別名言&格言集 
人間は、自分の人生を描く画家である。あなたをつくったのはあなた自身。これからの人生を決めるのもあなただ。

人は失敗を通じてしか学ばない。

「わかっているけどできません」とは、単にやりたくないだけだ。

大切なことは共感すること。共感とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることだ。

まだ無理だと思ってもやらせてみる。失敗しても「今度は上手くできるはず」と声をかけることが大切だ。

相手に間違いをわからせるには、親しみのある話し合いをすればよい。大切なのは、それができる信頼関係を築くことだ。

人は人生の敗北を避けるために、あらゆるものを利用する。

理不尽な上司や学校の先生に無理矢理認めてもらう必要はない。市場価値の高い人になればいい。より大きな共同体で考えればいいのだ。

強く見せる努力は止めて、強くなる努力をすべきだ。

命令口調を止めて、お願い口調や私を主語にして伝えるだけで、相手に勇気を与えられるだろう。

相手を他人と比較してはいけない。ほんのわずかでもできている部分を見つけ、それに気づかせることが重要だ。

人の行動の95%は正しい行動である。しかし私たちは、当たり前だからとそれを無視してしまう。わずか5%しかない負の行動に着目してはいけない。

失敗や未熟さを指摘してはいけない。できないからといって取り上げてもいけない。相手の勇気を奪ってしまうからだ。自ら困難を克服する機会を奪ってしまうのだ。

自分と違う意見を述べる人はあなたを批判したいのではない。違いは当然であり、だからこそ意味がある。

嫉妬でパートナーを動かそうとすれば、いずれ相手は去って行くだろう。大人なら理性的に話し合うべきだ。

誰かが始めなくてはならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、あなたから始めるのだ。

陰口を言われても嫌われても、あなたが気にすることはない。相手があなたをどう感じるかは相手の課題なのだから。

どのように感じるかはあなた次第だ。

「みんなが私を嫌っている」「今回駄目だったから次も駄目だ」という思い込みは、冷静に立証すれば消えていく。

自ら変わりたいと思い努力をすれば、性格は死ぬ1日、2日前まで変えられる。

甘やかすと相手の勇気を奪ってしまう。手助けしたり、チヤホヤしたりするのではなく、独り立ちの練習をさせなさい。

妻の機嫌が悪いときに、夫が責任を感じてはいけない。不機嫌でいるか上機嫌でいるかは、妻の課題である。その課題を勝手に背負うから苦しいのだ。

間違いを指摘せず、原因研究という吊し上げもせず、「こんなやり方はどうかな?」と提案する。それこそが、相手を育てる有効な方法である。

ピンク色のレンズのメガネをかけている人は、世界がピンク色だと勘違いをしている。自分がメガネをかけていることに気づいていないのだ。

人間であるということは、劣等感を持っているということだ。

「親が悪いから」「パートナーが悪いから」「時代が悪いから」「こういう運命だから」これらは責任転嫁の典型的な言い訳である。

劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし、劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も数知れない。

あなたが劣っているから劣等感があるのではない。どんなに優秀に見える人にも劣等感は存在する。目標がある限り、劣等感があるのは当然のことだ。