尊敬すべき幸福な人は、逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、心配しても始まらないことは心配せず、自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をする人である。
よき友を持つものは、自分の方でもよき友になれるものでなければならない。自分だけが得することは不可能である。
自分で幸福を感じている人は、それだけで満足し感謝するが、自分が幸福を感じないものは、他人に尊敬されたかったり、他人に報酬を求めたりする傾向になりやすい。
自分で自分を支配することが出来ない人は、不幸になりやすい。
僕はいい画や字を見ると、自分より優れた人間がこの地上に生きていたことをはっきり知って、ありがたくなり、自分も負けていてはすまないと思う。
僕は運命を信じないのです。ただ実力を磨くことだけを信用しているのですよ。
自分を信じて行かなければいけない。教わるものは遠慮なく教わるがいいが、自分の頭と眼だけは自分のものにしておかなければいけない。
幸福になるには、理想と現実の関係を知らねばならない。
何も贅沢しなければ幸福になれないと言うことはない。
何にも特色がなくても正直に働く人は、それは新しい世界の基礎になる。
幸福は運命から与えられるよりも、むしろ努力で獲得する方が多い。
馬鹿な者は独身の間は結婚した時のよろこびを空想し、結婚すると独身時のよろこびを空想する。
この世に生きる喜びの一つは、人間の純粋な心にふれることである。
もう一歩。いかなる時も自分は思う。もう一歩。今が一番大事なときだ。もう一歩。
わが行く道に茨多し、されど生命の道は一つ、この外に道なし、この道を行く。
自分の力に合うことだけしろ、その他の事は、おのずと道が開けてくるまで待て。
人間は神がつくったということは僕は信じられない。神がつくったものとしては人間は無常すぎ、不完全すぎる。しかし自然が生んだとしたら、あまりに傑作すぎるように思うのだ。
人生にとつて健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである。
まかぬ種子は生えぬと言うが、我等は不幸の種子をまかず、幸福の種子をまくように注意すべきである。
死の恐怖を味あふことは、その人がまだ生きてしなければならない仕事をしていたいからだ。
友情の価値は両方が独立性を傷つけずにつきあえるという点にあるのだ。
人間が死ぬ時の言葉は美しいと言われているのも、人間は死ぬ時は、自分のことを考えず、あとのことを考えるからである。
生まれけり、死ぬるまで生くるなり。
死滅しないものとは何か。自然であり、美である。
才能で負けるのはまだ言い訳が立つ、しかし誠実さや、勉強、熱心、精神力で負けるのは人間として恥のように思う。他では負けても、せめて誠実さと、精神力では負けたくないと思う。
あるがままにて、満足するもの万歳。
結婚は早すぎてもいけないし、おそすぎてもいけない、無理が一番いけない、自然がいい。
結婚するのも幸せだし、結婚しないのも幸せだ。どっちにも人間としての喜びがある。
自分は俗衆に理解された時、芸術は使命を果たし、同時に価値を失ふものと思つてゐる。
風流には嫉妬はない、利己的なものはない、没我的であり、非人工的なものである。
君は君、我は我なり。 されど仲よき。
色と言うものはお互いに助けあって美しくなるものだよ。人間と同じことだよ。どっちの色を殺しても駄目だよ。どの色も生かさなければ。
自分でも何かのお役に立つのだ。このことは喜びである。この喜びは自分の一生が、無意味でないことを示している。このことを幸福に感じるのである。
何のためにあなたたちは生きているのですか。国のためですか。家のためですか。親のためですか。夫のためですか。子のためですか。自己のためですか。愛するもののためですか。愛するものを持っておいでですか。
誰かがあなたに悪意を持って祈っているようなとき、恐れる必要はありません。笑い飛ばしてしまいなさい。恐れることは相手に力を与えることになります。
もしあなたが怒りっぽく、気まぐれで、気難しく、意地悪な人ならば、猛スピードで年をとっていくでしょう。
種をまかなければ芽は出ません。同様に問題がいかに難しそうであっても、答えを求めなければ回答は得られません。
幸福な人生を歩んでいる人は、言葉の使い方を知っています。言葉は選んで使いなさい。言葉の選択一つで、人生は明るくも暗くもなるのです。
笑顔には、人の心を明るく、柔和で好意的にさせてくれる偉大な力があります。従って常に笑顔を心がける人の未来は、ポジティブに飛躍するようになるのです。
自分を愛せない人を他人は決して愛しません。人から愛されたいと思うなら、まず自分自身を愛することから始めなさい。
自信とは、自分の能力や技量で物事が達成できるかどうかの見通しのことです。そして見通しを立てるのは想像力です。自信のない人に共通しているのは想像力に乏しいことです。
人を喜ばせたいという気持ちが成功につながる。
他人の心で状況をながめてみなさい。そうすれば真実が見えてきます。
現実の自分よりも理想の自分を愛しなさい。そして理想の自分で他人と接するべきです。これが他人から評価される秘訣です。
あなたの運命を決めるのは、あなたの心に張られた帆であって風ではありません。
楽天主義も悲観主義も一つの思考習慣によるものです。楽天家の人生が楽しく、悲観主義者の人生が暗いのは当然です。どちらもそれを望んだからです。
あなたが非難してよい人はあなたを除いて誰もいません。国を、政治家を、役人を、会社を、上司を、同僚を、家族を、つまりあらゆる他人を非難することをやめなさい。
記憶にとどめておきなさい。本物の愛はギブ・アンド・ギブ、つまり相手に代償を求めない無私の精神の発露です。ギブ・アンド・テイクは見せかけの愛でしかありません。
心と体は表裏一体です。どちらかが悪ければ、もう一方も悪くなります。だから健康を考えるとき、肉体的健康、精神的健康の両方を配慮しなければなりません。
人生は不思議なもので、同じような考え方、趣味、気質の人間が自然と寄り集まってきます。これを類友の法則といいます。その人のつき合っている人を見ればその人がわかります。
信頼とは信頼に値する材料があるからするというものではなく、まず先に信頼してしまうことなのです。信頼されると人はそれにこたえようとするものです。
俗にいう不倫な恋愛関係が真実の愛であることもありえます。ただしそれは、相手が今の結婚が間違いであったことを認め、あなたと新しくやり直す気持ちを持っている場合です。
言葉を話すとき、よく吟味しなさい。一語一語があなたの潜在意識に命令を下しているからです。
人生は選択の連続ですが、一番重要な選択は、あなたの心の内でおこなわれる選択です。
不安・心配というものは、現実に起きてもいないことのためにクヨクヨと考えているものです。
それはあなたの生命力を消耗させるだけで、何の得もありません。
幸福な人生を歩んでいる人は、言葉の使い方を知っています。言葉は選んで使いなさい。言葉の選択一つで、人生は明るくも暗くもなるのです。
自分の潜在意識に常、に明るい希望と期待に満ちた言葉を語りかけましょう。そうすると、万能の潜在意識は、あなたの状態を明るくし、あなたの希望と期待を現実のものとするように、ひとりでに動き出すのです。自分を害するような考えをせずに積極的な考えを選ぶだけで、あなたは運命そのものを動かしていることになるのです。
あなたを悩ましたり、悪口をいう人にも、平静な心で注意を向けなさい。きっとあなたにとって得るところがあるはずです。良薬が口に苦いように、あなたに偉大なる存在が苦言を呈しているかもしれないからです。
愛と善意を人に与えなさい。与えれば与えるほどあなたは受けとることになります。しかも返ってくるときには非常に大きくなっているものです。このことはお金についても同じです。
いかに悲観的な状況にあろうとも、そこから脱却することは可能です。問題はそう思えるかどうか、この一点にかかっています。
あなたが困った状態にあるとき、もっと困った状態にある人のために祈りなさい。そうすると、あなたは突如として自分自身の問題が解決していることに気づくでしょう。
対人関係の失調は、あなたの人生そのものを暗くしてしまいます。なぜうまくいかないのか。それは相手のせいではありません。すべての原因はあなたの側にあるのです。そう悟ったときに、あなたの人間関係はうまくいくようになるはずです。
感情が人の運命を大きく左右していることに気づきなさい。感情のコントロールができる人が人間関係の勝利者です。
怒りたくなったら、自分の心に中止命令を出しなさい。「わたしはいま怒ろうとしています。怒る理由はもちろんあるのですが、わたしは忍耐強い人間です。怒るより許して相手にわからせます」。
他人とうまくやっていく能力は、自分とうまくやっていく能力と同じです。まず自分とうまくやっていくことを身につけなさい。そうすれば他人とうまくやっていけるようになります。
過去のことは水に流して、むかしの恨みや悲しみをいつまでも考え続けることは絶対にしてはいけません。
人はしばしば他人からの正確な批判に腹を立てます。しかしどんな批判であれ、あなたがそれに同意しないかぎり、あなたを傷つけることはできないのです。
種をまかなければ、芽は出ません。同様に問題がいかに難しそうであっても、答えを求めなければ回答は得られません。
真の友を得たいと思うなら、まず自分自身が自分に対して友達になりたいような人物になることを心がけるべきです。
誰かがあなたが不幸になることを祈っているとき、その人に力を与えるのは愚かなことです。最良の方法は彼らを笑い飛ばすことです。
人生で絶対に手に入らない物とは、何も与えないで手に入れられる物です。
多くの人がいつまでも悪い習慣から脱却できない最大の理由は、それを認めることを拒絶しているからです。
気をつけなさい。同じような心的状態の人間は寄り集まってくるものです。いつも不平・不満を口にしている人のところには、似たような人間が寄ってきます。そして、いつも失敗ばかりしている人のところには、失敗者が集まってきます。
気をつけなさい。「共感」というのは他人とともに泥沼に落ち込むことを意味します。
まず他人を許してからでないと本当に自分を許すことはできません。
よいとか悪いとかいうものはこの世にありません。すべては考え方しだいでそうなるのです。
過去のことでクヨクヨしてはいけません。過去はすでに死物です。大切なのは現在であり、その積み重ねの未来です。悩みの大半は過去に由来します。過去を捨て、現在と未来を見つめなさい。そうすれば、明るい展望が開けてきます。
感情的な議論や他人のかんしゃくにつられてはいけません。そういうときは、なだめても無駄です。他人の感情の尻ぬぐいをしてはいけません。あくまでも正しいことから離れてはいけないのです。
あなたが信頼している人に、全力をあげてそのことを知らせなさい。あなたはきっとその返礼を受けとるはずです。
許すという技術で最も肝心なことは、喜んで許すということです。もしあなたが心から相手を許したいならば、あなたはその困難の半分以上は越えたことになります。
周囲の人たちから好感をもたれていると、よいチャンスにめぐり合う機会も多くなります。では、好感をもたれていないとよいチャンスにめぐり合わないだけですか。それだけではありません。憎まれたり不快感を待たれていると、マイナスの機会に出会うことになります。これはチャンスにめぐり合わないよりも悪い事態です。
あなたが他人に対して望んでいることを、あなたは自分に対しても望んでいるのだということを忘れてはなりません。あなたがもし他人の失敗や不幸を望んでいるとしたら、あなた自身も失敗を招き、不幸になる可能性が大きいことを知るべきです。なぜならあなた自身がそれを望んだからです。
あなたが他人について感じたり、考えたりしたことは、あなた自身の中で体験していることと同じです。したがって、自分についてこう感じてもらいたいと思うように、あなたも他人について思わなくてはなりません。
あなたが自分に望むことを他人にも望みなさい。自分が望まないことを他人に望んではなりません。
あなたが何か考えを持っていたとします。例えば自分は医者になりたいと言う考えを持っていたとしたします。そして自分が白衣を着て治療に当たっている姿を目に浮かべます。目に浮かべるビジュアライズのことを「考え」と言うことにします。この考えが種です。この種子をはっきりさせたら、それを潜在意識に引き渡すのです。これが種まきです。そうすれば、その種子は必ず芽を出し成長します。種子が芽を出すためには日光がいります。これは信念に相当しましょう。水もいります。これは実感に相当します。除草もいります。これはダメだと言う声が聞こえたときすぐに、それを切り捨てる決断に相当します。まず良い種を、良い考えを選びましょう。そして、その考えを抱きしめ、実感を持って繰り返し、悲劇的な考えが出たときでも、すぐにそれを切り捨てるようにしていますと、必ず種子は立派に成長し実を結びます。