わしが小指をちょいと動かせば、あんな奴、吹き飛ばされて木端微塵さ。
一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字でしかない。
コルホーズ反対の反乱農民は富農であり、すべての富農を撲滅せよ。
逮捕した者の中に、本物の敵が5%含まれていれば大成功と言うべきである。
もし我々の敵が我々をとがめるなら、我々のやることはすべて正しいのだ。
投票する者は何も決定できない。投票を集計する者が全てを決定する。
死が全てを解決する。人間が存在しなければ、問題も存在しないのだ。
愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする。
正直者の外交官など、乾いた水や木でできた鉄のようなものだ。
ろくでなし(ヒトラー)がくたばりやがった。
策略を十分に練って、敵を完膚なきまでに倒したその晩に、上質のグルジアワインを飲むときだな。
感謝の気持ちとは、犬に悩まされて気分を悪くするようなものだ。
喜劇を解さないことはもっとも喜劇的である…悲劇を解さないことが、しばしばもっとも悲劇であるように。
いつまでも復位させることはない。しばらく連れ戻しておいて、適当なときに背中にそっとナイフを突き立てればよいのさ。
圧制者の骨の上にのみ人民の自由は築かれ、圧制者の血のみが人民の自治のための土地を肥やす。
反対派が武装解除すればすべてがうまくいく。反対派が武装解除を拒否すれば我々が武装解除させなければならない。
教育とは、その効果が、それを誰が手にするか、誰に向けられるかによって決まる武器である。
歴史は無敗の軍隊が存在しないことを示している。
我々のものは正当な理由である。勝利は我々のものである!
私が信じているのはただ一つ、人間の意志の力である。
相違なくして力強く活発な動きは不可能だと考えている。「真の一致」は、墓地でのみ可能である。
強制収容所の理念は素晴らしい。
人命以外何も失ってはいない。
私はもうおしまいだ。誰も信用できない。自分さえも。
革命とは、客を招いてごちそうすることでも無ければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そんなお上品でおっとりとした雅やかなものではない。革命とは暴力である。一つの階級が他の階級をうち倒す、激烈な行動なのである。
日本はいま世界有数の強国であり、その軍事力は我が国よりも遙かに勝っている。しかし、中国にあって日本にはないものがある。長期戦に備えられるだけの広大な国土と、莫大な人口、そして正義である。従って、この戦争は三つの段階をたどる。第一段階、日本は奥地まで攻め入ってくるだろう。経済的に行き詰まるだろう。第二段階、日本は傀儡政権を作って対抗するだろう。我が方のゲリラ戦によって消耗するであろう。そして、第三段階、十分に力を蓄えた我が方は日本を追い出し、戦争は終わるだろう。
革命戦争は一種の抗毒素である。
批判は、事が行われている時にすべきである。いつでも事が済んでから批判する癖をつけてはいけない。
どんなことをするにも、そのことの状況、その性質、それとそれ以外のこととのつながりが分からないならば、そのことの法則も分からず、それをどういうふうにやればよいかも分からず、また、それを立派に成し遂げることもできない。
知識を得たいならば、現実を変革する実践に参加しなければならない。梨のうまい味を知りたいなら、自分でそれを食べて、梨を変革しなければならない。
「道にきいて、途に説く」ようななまかじりの知識をもつと、すぐ自分こそ「天下第一」とうぬぼれるが、これはその身のほど知らずをよく示すにすぎない。
困難あり、便法あり、希望あり。
政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である。
すべての頑固派の思想というものは、社会的実践から離れており、彼らは社会という車の前に立ち、その道案内の仕事をつとめることができない。
認識は実践に始まり、実践を通じてより高度の認識に達する。そして再び実践に戻らなければならない。