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 2025年01月15日    
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アダム・スミスのアダム・スミスたる名言集


 2024年02月03日   人物別名言&格言集 
人の財貨のうち、自己の収入を支えうると考えられる部分は、彼の資本と呼ばれる。

全ての金銭は信念に起因する。

懐疑論という道を進むためには、曖昧さの谷を通り抜けねばならない。

個人の野心は公共の福祉に資する。

国富の原因たるものは労働一般である。

人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」といった形で事業を運営することにより、得られるものである。そして人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手によって導かれた結果なのである。

多くの場合、個人の利益の追求こそが社会を豊かにするのだ。それは豊かな社会を目的とするよりもずっと効果的だ。私は公益のために商売をなした者が成果を上げた例を知らない。

女性が競うのはいつも男性についてだ。

公共の利益のために仕事をするなどと気どっている人びとによって、 あまり大きな利益が実現された例を私はまったく知らない。

国民の富とはその国民の年々の労働の生産物であり、これを改善する最大の要因は分業である。

我々が夕食を食べられるのは、肉屋や酒屋、パン屋の慈悲によってではない。各々が自らの利益を追求した結果なのだ。

人々の懐から金を吸い取るのは、政府が最も早く取り組むことだ。

物乞い以外に同胞の慈悲に頼ろうとする者はいない。

倫理観が欠如すると資本主義は暴走する。

消費はすべての生産の唯一の目標であり目的であって、生産者の利益は、それが消費者の利益を促進するのに必要である限りでのみ留意されるべきである。この命題は完全に自明であり、それを証明しようと試みるのはばかげているだろう。ところが重商主義では、消費者の利益はほとんど常に生産者の利益の犠牲にされており、消費でなく生産がすべての産業や商業の究極的な目標であり、目的だと考えているように思われる。

アダム・スミスの命を燃やすための名言集


 2024年02月03日   人物別名言&格言集 
1人の金持ちが存在するためには、少なくとも500人の貧乏人がいなければならない。

水ほど役に立つものはないが、水では何も買えない。反対にダイヤモンドそれ自体は何の使用価値も持たないが、交換すると相当の量のものを手に入れることができる。

社会の利益を追求するより、自分の利益を追求する方が、社会の利益につながることが少なくない。

各人は自分の生活をもっとよくするために自然に努力するものであり、この努力を自由に安全に行えるようになっていれば、きわめて強力な力になるので、他に助力がなくてもそれだけで、社会に富と繁栄をもたらすことができるし、人間の愚かな考えで作られた法律のために、多少なりとも自由を制約し安全を損なう障害物が大量に設けられていても、それらを乗り越えられるのである。

(個人は)自分の利得だけを意図しているのであるが、見えざる手に導かれて、自分の意図ではなかった目的を推進する。

あなたは最初に自分自身について知らなければならない。自分自身について知っている者は、自分の殻を破ることができるし、自らの態度を傍観者のように観察できる。

国家は光り輝く金属の蓄積によって豊かになるのではない、そんなのは子供じみている。国家が豊かになるのはその国民の経済的な繁栄によってなのだ。

権力者、富裕層への称賛や崇拝、貧困者、困窮者への軽蔑や無関心は、我々の道徳の退廃の最大にして共通の原因だ。

常に快活であることほど優美なことはない。

三つの階級すべてが最大級の繁栄を達成できるようにするには、きわめて単純ではあるが、完全な正義、完全な自由、完全な平等を確立することこそが秘訣である。
三大階級:「地代で生活する人々」「賃金で生活する人々」「利潤で生活する人々」

もともと荷物かつぎの人と哲学者とは、番犬と猟犬ほどにも違わない。両者の間に深淵を開いたのは「分業」である。

犯罪者とは、略奪の本能を持ちながらも自治を獲得するほどの富を持たなかった者のことだ。ほとんどの統治は金持ちによる金持ちのための統治である。古代であれ現代であれ、大部分の組織的な不公正は統治者によって行われている。程度の差こそあれ、民政は富の保障のために生まれており、それは現実には貧乏人から金持ちを守るために生まれた。多くの財産を持つ者を、財産を持たぬ者から守るために生まれたのだ。