交友や愛の課題における失敗から逃げるために、必要以上に仕事に熱中する人がいる。そういう人は週末の休日さえ恐れる。
感情は車を動かすガソリンのようなものだ。感情に支配されるのではなく、利用すればいい。
あらゆる行動には目的がある。
悩みをゼロにするには、宇宙でたった一人きりになるしかない。
人は正しいことをして注目されないと、ときに「負の注目」を集めようとする。人生を惨めにするような努力はやめるべきだ。
誰かが始めなければならない。他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
あなたのために他人がいるわけではない。「○○してくれない」という悩みは、自分のことしか考えていない何よりの証拠である。
過去を後悔しなくていい。未来に怯えなくていい。そんなところを見るのではなく、いまこの時に集中しなさい。
人生最大の危険は、用心しすぎることである。
行動に問題があるとしても、その背後にある動機や目的は、必ずや「善」である。
人は貢献感を感じ、自分に価値があると思えるときにだけ勇気を持つことができる。
カッときて自分を見失い怒鳴ったのではない。相手を支配するために、怒りという感情を創り出し利用したのだ。
悲しいから涙を流すのではない。相手を責め、同情や注目を引くために泣いているのだ。
叱ると一時的には効果がある。しかし、本質的な解決にはならない。むしろ相手は活力を奪われ、ますます言うことを聞かなくなるだろう。
人の育て方に迷ったときは、自分に質問するといい。「この体験を通じて、相手は何を学ぶだろうか?」と。そうすれば、必ず答えが見つかるだろう。
自分のことばかり考えてはいないだろうか?奪う人、支配する人、逃げる人、これらの人は幸せになることができないだろう。
世話好きな人は、単に優しい人なのではない。相手を自分に依存させ、自分が重要な人物であることを実感したいのだ。
苦しみから抜け出す方法はたった1つ。他の人を喜ばせることだ。「自分に何ができるか」を考え、それを実行すればよい。
使い続けたライフスタイル(生き方の癖、性格)が支障を来しても、人はそれを変えようとはしない。現実をねじ曲げてでも、自分は正しいと思い込む。
できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。今の自分を認める勇気を持つ者だけが、本当に強い人間になれるのだ。
たとえ不治の病の床にあっても、天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝し余生を充実させるか、それは自分で決めることができる。
もっとも重要な問いは「どこから」ではなくて「どこへ」である。
強がりはコンプレックスの裏返し。
劣等感を抱くこと自体は不健全ではない。劣等感をどう扱うかが問われているのだ。
敗北を避けるために、ときに人は自ら病気になる。「病気でなければできたのに」と言い訳して、安全地帯に逃げ込み、楽をするのだ。
どうしたらみんなを喜ばすことが出来るかを、毎日考えるようにしなさい。そうすれば憂鬱な気持など、吹き飛んでしまいます。反対に自分のことばかり考えていたら、どんどん不幸になってしまいますよ。
子どもは親が貼ったレッテル、たとえば「しっかりした子」「甘えん坊」「おてんば」「恥ずかしがり屋」などに対して過剰に応えようと努力する。
子供の教育について最悪の間違いは、親や教師が、誤った道にさまよっている子供らに向かって、悪い結末を予言してやることである。
扱いにくい相手とうまく付き合うには、相手が何とか自分を優秀に見せようとして、躍起になっていることを念頭に置くことだ。そしてその観点から相手と付き合ってみることだ。
生まれ変わる必要はない。感情の使い方を変えればいい。
幸せの三要素は、自分自身か好きかどうか。よい人間関係を持っているかどうか。そして、人や社会に貢献しているかどうか。
人の心理は物理学と違う。問題の原因を指摘しても、勇気を奪うだけ。解決法と可能性に集中すべきだ。
配偶者を従わせ、教育したいと思い、批判ばかりしているとしたら、その結婚は上手くいかないだろう。
兄弟間で得意分野が異なるのには理由がある。それぞれが違う分野で認められようとするからだ。
(親に)ガミガミ叱られ続けた者が暗い性格になるとは限らない。親の考えを受け入れるか、親を反面教師にするかは、自分の意志で決められるからだ。
「私は○○である(自己概念)」「世の中の人々は○○である(世界像)」「私は○○であらねばならない(自己理想)」性格の根っこには、この3つの価値観がある。
人はライフスタイル(=性格、生き方の癖)を10歳くらいまでに、自分で決めて完成させる。そして、それを一生使い続けるのだ。
幸福な人生を歩む人のライフスタイル(=性格、生き方の癖)は、必ずコモンセンス(=共通感覚)と一致している。歪んだ私的論理に基づく性格では、幸せになることはできないだろう。
自分が役に立っていると実感するのに相手から感謝されることや、褒められる必要はない。貢献感は自己満足でいい。
判断に迷ったら、より多くの人間に貢献できる方を選べばいい。自分よりも仲間たち、仲間たちより社会全体。この判断基準で大きく間違うことはまずないだろう。
他人のことに関心を持たない人間は苦難の道を歩まねばならず、他人に対しても大きな迷惑をかけることになる。人間のあらゆる失敗は、そういう人たちの間から生まれる。
人生における、全ての失敗の原因は、自分の事しか考えていないことにある。
あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ。
「暗い」のではなく「優しい」のだ。「のろま」ではなく「ていねい」なのだ。「失敗ばかり」ではなく「たくさんのチャレンジをしている」のだ。
自分の不完全さを認め、受け入れなさい。相手の不完全さを認め、許しなさい。
ほかの人の自分に対する評価は、その人の個人的な意見であり、自分の評価そのものには、関係しない。
行動に問題があるとしてもその背後にある動機や目的は、必ずや「善」である。
勇気とは困難を克服する活力のことだ。勇気のない人が困難に出会うと、人生のダークサイドへと落ちていってしまうだろう。
人は居場所がないと感じると精神を病んだり、アルコールに溺れたりする。他者に貢献することで、居場所を確保すればいい。
それが「あなたの課題」ならば、たとえ親に反対されても従う必要はない。自分の課題に足を踏み込ませてはいけないのだ。
愛の課題とは、異性とのつきあいや夫婦関係のことである。人生で一番困難な課題であるがゆえに、解決できれば深いやすらぎが訪れるだろう。
「仕事で失敗しませんでした。働かなかったからです」「人間関係で失敗しませんでした。人の話に入らなかったからです」。彼の人生は完全で、そして最悪だった。
人生には3つの課題がある。1つ目は「仕事の課題」。2つ目は「交友の課題」。3つ目は「愛の課題」である。そして後の方になるほど解決は難しくなる。
「よくできたね」とほめるのではない。「ありがとう、助かったよ」と感謝を伝えるのだ。感謝される喜びを体験すれば自ら進んで貢献を繰り返すだろう。
叱られたり、ほめられたりして育った人は、叱られたり、ほめられたりしないと行動しなくなる。そして、評価してくれない相手を、敵だと思うようになるのだ。
まず無理だと思ってもやらせてみる。失敗しても「今度は上手くできるはず」と声をかけることが大切。
自分だけでなく仲間の利益を大切にすること。受け取るよりも多く相手に与えること。それが幸福になる唯一の道だ。
どんな能力をもって生まれたかは大した問題ではない。重要なのは、与えられた能力をどう使うかである。
子供にとって家族は「世界そのもの」であり、親から愛されなければ生きていけない。そのための命がけの戦略が、そのまま性格の形成につながるのだ。
人生が困難なのではない、あなたが人生を困難にしているのだ。人生は極めてシンプルである。
苦しみから抜け出す方法はただひとつ。他者を喜ばせることだ。自分に何ができるかを考え、それを実行すればいい。
若者達の方が前を歩いている。
すべての悩みは対人関係の課題である。仙人のような世捨て人でさえも、実は他人の目を気にしているのだ。
楽観的でありなさい。過去を悔やむのではなく、未来を不安視するのでもなくいま現在だけを見なさい。
「信用」するのではなく「信頼」するのだ。「信頼」とは裏付けも担保もなく相手を信じること。裏切られる可能性があっても相手を信じるのである。
嫌われる勇気をもちなさい。
自分を嫌う人がいるということは、自分が自由に生きていることの証なのです。
子供は感情でしか大人を支配できない。大人になってからも感情を使って人を動かそうとするのは、幼稚である。
問題の原因などどうでもいい。大切なのは解決策とこれからどうしたいかだ。
3日あれば人間は変われる。
健全な人は相手を変えようとせず、自分が変わる。不健全な人は相手を操作し、変えようとする。
遺伝もトラウマも、あなたを支配してはいない。どんな過去であれ、未来は今、ここにいるあなたが作るのだ。
人は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は「解説」にはなっても「解決」にはならないだろう。
「やる気がなくなった」のではない。 「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。 「変われない」のではない。 「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。