世の人は我を何とも言わば言え我が成す事は我のみぞ知る。
竜馬は議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎりしてはならぬといいきかせている。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけである。
何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。
おれは落胆するよりも次の策を考えるほうの人間だ。
恥といふことを打ち捨てて世のことは成るべし。
人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。
人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。
人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ。
万事、見にゃわからん。
偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。
何の志もなきところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大ばか者なり。
人間、好きな道によって世界を切り拓いていく。
わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ。
夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。
いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。
時勢に応じて自分を変革しろ。
金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。
人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ。
疲れちょると思案がどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と自信がわく。
世に生を得るは事を成すにあり。
慎重もええが、思いきったところがなきゃいかん。慎重は下僚の美徳じゃ。大胆は大将の美徳じゃ。
人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。
雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ。
いまは少しばかりの失敗をする余裕はあるし、新しいことをどんどん試すことを求められている。将来には様々な可能性が開けていて、株主は売上と利益が成長し続けることを期待している。だから、大きな限界に挑戦しなければならない。我々にはその能力があるし、そうすることを期待されている。それに、我々は大きな挑戦が好きなのだ。
1日24時間では処理しきれないほど難問がある。だから、無駄にしている暇はない。
一心不乱に働くこと、ベストを尽くすことが嫌だというなら、ここは君のいるべき職場ではない。
効果的な慈善活動を実現するには多くの時間と創造力が必要だ。それは、一つのビジネスを興す場合に必要な目標とテクニックと同じ類のものだね。
毎日毎日「勝ちたい」という気持ちで出社しなければならない。切羽詰まったときにこそ、最高の能力を発揮できる。
1日の時間が足りないので、一度にふたつのことをやってみたくなる。いまはエアロバイクで運動しながら新聞を読むという芸を極めているところだ。マルチタスク(複数のことを同時に行うこと)としては、非常に実用的だと思うよ。
悪い知らせは、早く知らされなければならない。
ゴールドラッシュは猛烈な投資を引き起こすことが多い。そのうちの一部は成功するが、熱狂が終わって振り返った時、失敗に終わった企業の山を見て、首をかしげることになるだろう。『いったい誰がこんな企業を設立したのだろう』『何を考えていたんだ』『熱狂だけでここまで馬鹿なことをしたのだろうか』と。
マイクロソフトは不死身ではない。どんな会社でも失敗はする。問題は、それがいつかということだ。私の目標はもちろん、重要な位置をできるだけ長い間維持することだ。
成功の秘訣?それは大きなビジョンが持てるかどうかだけだよ。
成功の鍵は、的を見失わないことだ。自分が最も力を発揮できる範囲を見極め、そこに時間とエネルギーを集中することである。会社の価値観や報奨のシステムもこの考えを反映すべきである。
成功ってのは、やっかいな教師だ。やり手を臆病者に変えてしまうからね。
私は物事をとことん突き詰めるのが好きなんだ。そうすれば、たいてい良い結果が出るから。
同じ決断を二度するな。最初の決断に充分時間をかけて確固たる決断を下せば、同じ問題を二度考えずに済む。
変わることがなければ成長することもない。成長することがなければ真に生きていない。
人間にはものを考える時間が必要だ。
『知識は力なり』というふるい諺があるが、これはときとして人に知識を独占する気持ちにさせる。知識を独占することで自分が欠かせない存在になると信じるからである。力は知識を隠しておくことからではなく、分かち合うことから生まれる。会社の価値観や報奨のシステムもこの考えを反映すべきである。
問題は未来だ。だから私は、過去を振り返らない。
一度決断したあとに再び同じ問題にこだわると、決断の実行の妨げになるばかりか、決断を下すことも躊躇するようになる。そもそも、本当に心が決まっていないなら、決断を下す意味などないじゃないか。
自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ。
成功を祝うのもいいですが、もっと大切なのは失敗から学ぶことです。
私は起業家という言葉をいつも拒否してきた。「会社を始めよう、何の会社にしようか」では決して成功しない。
変化の速い産業で成功している企業は、カギとなるトレンドの最先端を行き、その新しい応用に価値を付加できる企業だ。
人生は公平ではない。それに慣れよ。
反対があるのは健全なこと。本当に力のあるアイデアか試されるわけだから。
成功を祝うのはいいが、もっと大切なのは失敗から学ぶことだ。
我々は上手くいっていることを話題にして時間を無駄にしたりしない。そういう無駄は、我が社の社風が認めない。ミーティングはいつもこういう具合に進んでいく。『確かに、カテゴリーのうちの7つは上手くいった。だが、8番目はどうなんだ』と。
私は、エキゾチックな環境の下で開かれる会議には偏見を持っている。その場所が魅力的であればあるほど、仕事の能率は低くなると思うからだ。
一心不乱に働くこと、ベストを尽くすことが嫌だというなら、ここは君のいるべき職場ではない。