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 2025年05月05日    
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魂の名言!!!


 2022年12月30日   魂を揺さぶる格言&名言集 

稲盛和夫

不平不満ばかりの暗い思いや、いやな思いだけを持っていれば人生はさらに暗くなってしまうし、明るく前向きな思いを抱いて頑張れば人生は好転していく。

たとえどんな逆境にあろうとも、自分が今やっていることを必死に取り組むことが最も大事。環境のせいにしてはいけない。前を向き、目標を立て、努力を続ければ必ず幕が開き、達成できるだろう。

運の悪い人というのは、自分を棚に上げて人の批判ばかりしています。そういう人は、知らず知らずに運を悪くしています。

人は、天賦の才を決して私物化してはなりません。むしろ、謙虚になり、集団のためにその才能を使うべきなのです。

揺るぎない信念はいかにして身につけることができるのかといえば、それは逆境のなかで辛酸を嘗めるような苦労を経験をすることでしか身につかないと、私は思います。

ものごとというのは、善意で考えるのと悪意で考えるのとでは、おのずからたどり着くところが違ってくるものです。

「これが理想的であることはわかってはいるけれど、現実にはそんなことは不可能だ」と少しでも思ってしまったら、どんなことも実現することはできない。

私は、才能というものは、集団を幸福へ導くため、天が人間の世界に一定の割合で与えてくれた資質だと思っています。そのため、たまたま才能を授かったものは、それを世のため、社会のため、集団のために使うべきと考えています。

人生において「無駄な苦労」というものは、実は一つもありません。なぜなら、苦労そのものが人間をつくっていくからです。

短い人生の中で、最も楽しいことは、自分の心の波長と合う人との出会いです。

これが正しい道だと固く信じているのであれば、その道がどんなに険しかろうと、どんな悪天候に遭遇しようと、その道をまっすぐ頂上まで登るべきです。安易な道はたいていの場合、ゴールへ導いてくれないのです。

人間の能力は未来進行形で発展します。たとえ今は実現できなくても、1年後、2年後に実現するつもりで努力を重ね、勉強をすれば必ず成長する。そのためにはまず、自分の能力が無限に発展すると信じることです。

「もうこれでいい」と思った瞬間から、会社の没落が始まる。

長期の目標を立てる時、私はわざと自分の能力を超えたところに設定します。言い換えると、現在の自分の力では達成不可能と思える目標を選択するのです。誰でも、現在自分が持っている能力を考えて、今、何ができて何ができないかという判断はできます。しかし、新しいことを成し遂げようとする時、それだけでは不充分なのです。現時点ではとうてい実現不可能だと思えるようなことを、何とか成し遂げようとする努力からのみ、驚くような成果が生み出されるのです。

夢に酔っていればこそ、それを実現させる情熱が湧いてくるのです。

若い頃は「人生で偉大なことを成し遂げたい」という夢を持つものです。すべての若者がそのような夢を持つように、大いに奨励すべきでしょう。ただ、偉大なことを成し遂げるには、日々、身を粉にして働かなければならないということも若い人たちは理解すべきです。努力が伴わなければ、いくら大きいビジョンでも、単なる夢にとどまってしまいます。

「天職」とは出会うものではなく、自らつくり出すものなのです。

意味のある努力をたゆまず続けることなしに、価値ある目標が達成されたことはありません。人生の旅路には近道も、また楽々と飛んでゆける魔法の絨毯などもないのです。自分の足で、一歩ずつ歩いていかなければならないのです。このまどろっこしい、慎重なやり方では、長い道のりを歩き続けるのは不可能に見えるかもしれません。このペースでは偉大なことなど、決して成し遂げることは出来ないと思い始めるかもしれません。それでも、焦ってはいけません。小さな歩みの一歩一歩が積み重なり、相乗効果を生み出していきます。

自分の感情で物事を決めていくのではなく、しっかりとした判断基準がなければだめだということ。言い換えれば、会社を辞めるにせよ、残るにせよ、そこには必ず“大義名分”が必要だということです。絶対に目先のお金などにとらわれ、損得勘定で決めてはいけない。

鈴木隆一

自分の仕事を好きになること。どんな仕事でも必ず意味がある。

仕事は自分のためではなく 他人に喜んでもらうためのもの。「ありがとう」 と感謝されれば嬉しくなり、「また頑張ろう!」と思える。それが「仕事を楽しむ」 につながる。

北里柴三郎

医者と坊主は、手足をそなえた一人前の人間の為すべき業ではありません。柴三郎、この世に生をうけてより、志は天下国家にあるのです。わたくしはそのためにこそ、ひたすら武を練り、文を学んで今日にいたりました。なんでいまさら便々と、本読みの連中に加われましょうや。

研究だけをやっていたのではダメだ。それをどうやって世の中に役立てるかを考えよ。

君、人に熱と誠があれば何事でも達成するよ。よく世の中が行き詰まったと云う人があるが、是は大いなる誤解である。世の中は決して行き詰まらぬ。若し行き詰まったものがあるならば、これは熱と誠がないからである。

日本は開国して日も浅く、何ひとつ欧米諸国に肩を並べられるものがない。世界的に評価される学者も出ていない。だから、私が世界的な学者になるのだ。

北里研究所の事業も世界規模での医学発展において、医学あるいは衛生学のみならず他の領域まで侵入しまして農業、水産、工業などその他にも我が微生物の研究を応用して国家、社会に貢献したい考えであります。

久石譲

音楽っていうのは、96%まで技術です。

作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事。

作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと。

作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ。

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている。

若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ。

単純な意味での自由なんて、どこまでいってもないんですよ。だから、そのことを早い段階で自覚した方がいい。そのうえで会社を利用し、たくましく自分なりの人生を組み立てていく方がいいと思うんです。

恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返しだ。自分をさらけだすことを恐れているということでもある。頭の中にそんな自意識があったのでは、本当に人を楽しませたり喜ばせたりするものをつくることはできないだろう。

タモリ(森田一義)

人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな。

他人に期待などしなければ、つまらないことで感情的にならずにすむ。そうすれば人間関係に波風も立たなくなり、円満にだれとでも付き合える。

人間の不幸は、どだい、全体像を求めるところにあると思うんです。
やっぱり近道はないよ。真ん中の王道が近道なんだよ。

(相手に喋らせる為には)あまり訊いちゃ駄目なんです。訊くと人は喋らない。まず自分のことか関連することを話す。そうすると「いやいや違いますよ」って感じで話してくれます。

日常で一番重要なことを伝えるには低いトーンで小さな声でしゃべる方が伝わる。そうすると相手の注意力が増してくる。大きな声を出せば面白いと思うのは勘違いだ。

初対面の人と上手く話す秘訣なんて無いんです。心構えとしては、初対面と思わない事じゃないですかねえ。この人はよく知っているんだ、仲良しだと思う事です。

いまだに何かをわかったわけでもなく、ただ迷いつつ手探りでやり続けております。

頑張ると疲れる。

前を向いて歩いてたって、つまんないよ。後ろを振り返ったほうが『あれが楽しかった』って楽しいよ。

森田正馬の名言(その2)


 2022年06月10日   人物別名言&格言集 
もし小さな事が気になり、大きな事が気にならなければ、それは思慮の足らぬ人のこと。

★「死ぬのは恐ろしい。生きるのは苦しい」。言い換えれば、「死を恐れないで、人生の思うままの目的を、楽々とし遂げたい」という事になる。これが神経質の特徴であって、無理にも、自然に反抗しようとする態度になり、死は当然恐ろしい。
大なる希望には、大なる苦痛・困難があると、極めて簡単な事を覚悟しさえすれば、それだけで神経質の症状は、強迫観念でもなんでも、すべて消失するのである。 既に神経質の全治した人には、これが簡単に理解できるが、まだ治らない人には、全く嘘のような法螺のようか話である。

神経質が、種々の症状に悩むのは、その限りなき欲望に対する過渡期であり、終には悟りに達すべき迷妄の時期である。 それは、自分の苦悩のみを誇張して、之に執着し、自分の本来の心を自覚する事の出来ない時期である。もし之が、ある機縁に接して、一とたび生の欲望に対して、心機一転した時、初めてそこに、従来の苦悩が雲散霧消するのである。

一つひとつ考えて行けば、必ず行きつまるところへ行くものです。

「いやなものが好きになる」「不潔が平気になりたい」「人前で恥ずかしくないようになりたい」かく考えている間は、永久に強迫観念は当然不治である。ただこれを思い捨てる、すなわち「嫌いなものは嫌い」「人前は恥ずかしいものである」と事実そのままに見るとき容易に嫌いは好きになり、人前も恥ずかしくなくなるのである。これが私のいわゆる「思想の矛盾」で、逆になる所以である。

★恐れるべきを恐れてはならないというのを「思想の矛盾」と言い、悪智といい、それは決して人間の心情の事実ではないのである。

☆自分で善人になろうとする理想主義は、わたしのいわゆる思想の矛盾で、反対の悪人になり、自分が悪人になれば、かえって善人になる。

自分の療法は思想の矛盾を避け、全ての行動、思想を感じ、直観という事から出発させるように指導する。

☆宇宙の現象は全て、ただ発動力と制止力とが常に平衡状態にある時のみ、調和が保たれている。

机上論で腹式呼吸でもやり、周囲のことも忘れて、心がひとつになった時が、仕事が最もできるというのは思想の間違いである。精神が四方八方に働いて、しかも現在の仕事の最も適切にできる状態を「無所往心」というかと思います。これがいわゆる悟りでありましょう。

感情はそのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、一昇り一降りして、ついに消失するものである。

各々その人の病的傾向をも利用して、いたずらにこれを否定抑圧することなく、人の本然の能力を発揮させようとするものである。

☆我と周囲の境遇との間に、よく駆け引きのできるのが「不即不離」である。この我を否定したり、抑圧したり、折角得難い境遇を見捨てたりするところに、全く「不即不離」の働きができなくなるのである。

★人生は調和である。

心は周囲の事情の変化につれて、常に絶えず移り変わるもの。

恨みや憤りや色々の欲望は全て人の本能である。人の生存上欠くことのできない事は食欲と同じである。

人もし各々その職業に興味を有して、工夫し、研究し、発展し、これを楽しんでいくならば、その仕事は常に遊び事である。

空は晴れるべきだと決めつけるな。小さな雲さえ気になり始める。

人間は自己の精神の活動を喜ぶ内部の自我が成長して大きくなるのを楽しみとする。