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リンカーンの格言(part1)


 2022年04月13日   人物別名言&格言集 
相手を動かそうとする時には、心のこもった、押しつけがましくない説得の手を用いるよう心がけることだ。「一ガロンの苦汁よりも一滴の蜂蜜を用いたほうが多くの蝿がとれる」ということわざは、いつの世にも正しい。人間についても同じことがいえる。

悪意をすてて、愛をとれ。

悪魔は招かれぬ所へは出向かぬ紳士である。

あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ。

一部の人たちを常に、そしてすべての人たちを一時だますことはできるが、すべての人たちを常にだますことはできない。

馬の行きたい方向に馬を走らせるには手間も労力も要らない。

経験的に、悪徳を持たない者は美徳をほとんど持っていない。

★今日責任から逃れることによって、明日の責任から逃れることはできない。

今日出来ることを、明日に残すな。

君の決心が本当に固いものなら、もうすでに希望の半分は実現している。夢を実現させるのだという強い決意こそが、何にもまして重要であることを決して忘れてはならない。

こうして人間に生まれてきたからには、やはり何か生きがいが感じられるまで生きている義務があろう。

抗議しなければならない時に沈黙で罪を犯すのは臆病者だ。

こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重大なことでも、相手に譲るべきだ。こちらに十分の理があると思われる場合でも、小さいことなら、譲った方がいい。

事を成し遂げる秘訣は、ただ一事をなすにあり。

この悲しい世界では、不幸は皆に訪れる。その場合、ひどい苦しみを伴うことがある。完全に癒すことができるのは、時をおいて他にはない。

象の後ろ足を捕まえて、象が逃げ出そうとしたなら、行かせてやるのが一番だ。

大統領にしても、靴磨きにしても、世のため、人のために働く公僕だ。世の中に卑しい業というものはない。ただし、心の卑しい人はいるものだが。

誰かが成功をおさめることが出来たということは、他の人にも同じ事ができるという証明である。

☆自己の向上を心がけている者は、喧嘩などする暇がないはずだ。おまけに、喧嘩の結果、不機嫌になったり自制心を失ったりすることを思えば、いよいよ喧嘩はできなくなる。

★自分でできることやすべきことをその人の代わりにしてあげても本当の助けにはならない。

準備しておこう。チャンスはいつか訪れるものだ。

沈黙を保ち阿呆とみなされるほうが、おおっぴらに喋り疑いをすべて取り除くよりもよい。

☆人格を樹木だとすれば、名声はその影のようなものだ。その影は樹木について私達が考えたものだが、樹木は樹木そのものだ。

そのことはできる、それをやる、と決断せよ。それからその方法を見つけるのだ。

大抵の人は災難は乗り越えられる。本当に人を試したかったら、権力を与えてみることだ。

大抵の人は自分で決心した程度だけ幸福になれる。

他人の自由を否定する者は、自らも自由になる資格はない。

会って直に話すのが、悪感情を一掃する最上の方法である。

捕まえたときに、追いかける楽しみは終わる。

敵が友となる時、敵を滅ぼしたと言えないかね?

投票は銃弾よりも強い。

何歳まで生きたかは重要ではない。いかにして生きたかが重要だ。

日夜大きなプレッシャーがあるのです。笑わなければ死んでしまうでしょう。

人間は、たとえ相手が自分の一番関心のある目標に導いてくれる指導者であっても、自分の気持ちを理解してくれない者には、ついて行かない。

☆主は平凡な顔立ちの者を好むのだ。それゆえにそういう顔をたくさん造られたのだ。

★87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。
(出典:米国大使館サイト)