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大前研一の化け物じみた名言集


 2023年12月27日   人物別名言&格言集 
問題解決に関して「本質的な問題」と「単なる現象」を区別することが大事だ。たとえば、ある企業の収益が下がり続けているとする。その原因を分析したら、どうやら開発コストがかかりすぎて収益を圧迫しているということがわかった。それで開発コストを削減することによって解決を図ろうとした。よく耳にする話だが、こんなのは単なる現象への対症療法にすぎない。対症療法をいくらやっても本質的な問題が解決されなければ、また別の形で問題が出てくる。つまり、現象だけを相手にしていたら、いつまでたっても問題解決にはならない。

イトマキエイのように情報をガバガバと呑みこんだところで、一昨日の夕食に何を食べたか思い出せないように、情報は体外にそのままストンと流れ出てしまって終わりとなる。

仕えた大将をヒーローにするのが参謀の仕事だと私は考えている。「この人はこんなことができたら素敵だな」と思うことを提案するのだ。私にとって損か得か、あるいはコンサルタント会社であれば会社にとって損か得か、次の仕事につながるかとか、そういうことは一切関係ない。

企業の「稼ぐ力」を決定づけるのは経営トップのビジョンと判断力であって、社外取締役もコーポレート・ガバナンスも暴走防止、脱輪防止の副次的なファクターにすぎない。

リーダーは1人のアドバイザーがいればおよそ間違いのない意思決定ができます。3人のアドバイザーが出てくると、意見調整の時間の方が構想を練る時間より長くなります。いままでの政治家はだいたいそれで失敗しています。

世界中で活躍するユダヤ人は、「全員一致の意見はむしろ怪しい」と教え込まれる。大勢に流されがちな日本人は、大いに参考にすべきだろう。

世の中にはネットやメディアだけではたどりつけない情報がある。自分の足で調べなければ気づかないことがあるのだ。知的好奇心を持つ第三者の目で行動し観察・思考することも、「気づく力」につながる大事な要素ではないかと思う。

多くの人が仕事のスピードが上がらないのは、身をもってスピードの価値を感じたことがないからだ。私はこれまでいくつもプロジェクトを手がけてきたが、プロジェクトというのは完成が遅れると、1日につき1000分の1のペナルティーを支払うというのが業界の常識だ。1000分の1といっても、1000億円のプロジェクトともなれば1億円。そういう経験をしてきていないから、口ではスピードアップしたいといいながら、どこか切実感が足りないのだろう。

「情報投資にどれくらいのお金をかければいいですか?」と最近、聞かれることがある。人によって違うのは当たり前だが、自分の体を維持するためにどれくらいの食費をかけているか、考えてほしい。胃に入れる金額と頭に入れる金額を同じにしろ!というのが私のアドバイスである。

バブルに踊り、日本経済や日本型経営を賛美するような本が相次いで世に出た80年代を通じて、日本はもう日本一になった、アメリカなどから学ぶものがないと驕り、次第に内向きになっていった。

情報の達人を目指すなら、最初の一歩はひとつの整理棚をつくることである。私が学生に対し指導しているのは、毎日土曜日に3時間ほど時間をつくり、自分が関心のあることについてGoogleでネットサーフィンすること。3時間サーフィンしただけでは時間の無駄だが、その結果を、つまり「要はどういうことなんだ」と「それなら私はこう考える」をレポートにまとめる。面白い写真やデータを見つけたら、それもレポートに添付する。こうして作ったレポートが最初の棚になる。

情報を得るための一番の原動力は、興味・関心を持つことである。咸臨丸の時代や戦後の高度成長期の日本人は海外の情報に旺盛な興味があったし、それを日本に持ち帰って日本初の何かを生み出さなければならないという使命感のようなものがあった。それがいまやまったくない。興味も関心も使命感もなくなってしまった。

世の中の変化はめちゃくちゃ速くなっている。「年相応」とか「今さら」というのは禁句。変化についていかないことにはビジネスはできない。世の中の変化がまばゆく見えても、新しい変化をしっかりと吸収してください。

ロジカル・シンキングは、答えの範囲を取捨選択して狭めていくときには有効だが、それでは発想は広がらない。誰も気づかないような答えを出すときにものをいうのは、想像力や直感だ。

目の前の問題だけを脂汗を流しながら凝視していても発想は広がらない。歴史や地理、ほかのジャンルなどいろいろなところにアンテナを伸ばしてみるといい。

モノがあふれかえっている時代に育ったいまの若い世代に物欲がないのは当たり前で、草食系だなんだと称しているが、要は環境に適応してしまったのである。貧しさや飢えを経験している我々世代は競い合ってモノを欲しがってきたが、いまの若い世代は「モノは必要なときに使えばいいじゃん」と考える。シェアリングの方が合理的なのだ。

すでに崩壊した成長神話の残滓にすがっている限り、日本人は苦しみ続けることだろう。背伸びしても昇進と昇給で追いついてくる、という甘い発想からいかに早く「身の丈に合った」生き方、ライフスタイルに切り替えるかが問われている。

問題解決の基本は疑問を持つこと。この結論が最善の結論だというところを疑ってみる。そうすると問題解決の糸口が見えてくる。

同じ意見の人といくらつるんだところで何も生まれない。自分の意見に対して、「それ、違うんじゃない?」と指摘してくれる人こそが重要。

新幹線に乗るにしても、どの便ならその日のスケジュールが一番段取りよくこなせるか、ネットを使って時刻表や乗り継ぎを調べておく。そうすると、この日は時間ギリギリまで事務所で仕事をするより、電源を使える席が空いている早めの便にして、車中で原稿を仕上げたほうがいいなどという計算が立つ。

悲しいのは、釣りにしてもバイクにしてもスノーモービルにしても、同じ年ぐらいの友人がやらなくなったこと。60歳を迎えた友人たちはたいてい、奥さんから「あなた、年を考えなさい」と言われると、年を考えてやめちゃうんだよね。でも私は年を考えるからやる。この辺がすごく大きな違い。

日本人の情報に対するどん欲さが失われてきたのはいまから20年ほど前からだ。日本企業の旺盛な情報収集活動が産業スパイ扱いされ、風当たりが強くなったという面もあるが、経済大国化した日本にたくさんの情報が集まるようになったことが大きい。海外に出る日本人が急増して、海外ミッションそのものの希少価値も薄れていった。だが何よりも大きな理由として挙げられるのは、日本人の驕りである。