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真島昌利のパーソナリティに迫れる名言集


 2024年01月04日   人物別名言&格言集 
俺はもう、他人のイメージの奴隷にはならないよ。

1977年、秋。クラッシュのファースト・アルバムを聴いた。15才だった。何度も何度も聴いた。クラッシュのロックンロールには、10代の僕が必要としていたものすべてがあった。クラッシュのロックンロールがあれば、どんな日だって快晴だった。その感覚は、僕の永遠なのです。

夢を持ってる人間がいるじゃないですか?それは往々にして我儘だとか自分勝手だとか言われがちじゃない?自分の好きなように夢を追うっていうのはさ。だけどそういう自分勝手で我儘な奴って人類の進歩に多大な貢献をしてきたと思うんだよ。

もう圧倒的な地響き立てて疾走する楽観主義で行かなきゃダメなんだよ。物事を一旦始めてしまったらさ。

俺はさ、性欲って生命力だと思ってるからさ。だから性欲が無くなった時に創作意欲も無くなるんじゃないかなって気がしてるよ。

やっぱそん時の自分が感じた身体の震えとかをね、一番大切にするべきだよ。

言葉がどうっていうんじゃないけど、ロックってのにあんまりこだわるっていうのも格好悪いと思う。

うん、全部自分のためにさあ――人に優しくするのだって結局自分のためじゃん。人からよく思われたいから、その人に好きになってもらいたいから優しくしたりするんじゃないのかな。人のために何かやるのって何か嘘くさいじゃん。

ロックは当時、自分の周りにあった壁を全部壊して、扉を全部開けてくれたよね。

あのパンクロックの吹っ切れた感覚、ドカーンとした(エネルギーのある)ロックミュージック。そこに感じるものがあったから、そこからだよね。そこからずっと今も続いているというか。そういう流れだと思う。

インタヴューなんかでも、僕は結構生意気なこと言ってんだけど、大体もう、薄められて、あたりさわりのない内容になってる。ブルーハーツはいい人の集まりのバンドだってことに。

ロックンロールって嘘なんだと思うよ。でもそれは真実を教えてくれる嘘なんだと思う。

一つのことを成し遂げるためには他のことは全部犠牲にしなければ駄目だよ、人間。俺はもう死ぬまでロックする覚悟を決めたんだからさ。

でもやっぱりロックが凄え好きなさ、例えば僕みたいな奴にとってはロックってそれだけの価値があったりするんだよ、人生棒に振るだけのでもやっぱりロックが凄え好きなさ、例えば僕みたいな奴にとってはロックってそれだけの価値があったりするんだよ、人生棒に振るだけの。

日本のロックっていうものはまだ全然脆弱なんだ。やっぱパンクにしても、向こうの英語圏の人達にはエルビスもいたしビートルズもいたしストーンズもいたし、その上でのパンクっていう意味とかさ。だから、そういう上っ面だけを持ってきて日本でやっても、あんまり僕はおもしろいとは思わないんだよ。

今はまわりがロックに対してガタガタ言いすぎると思う。60年代の中盤までのロックンロールって、すごくエキサイティングだったじゃない?それが、なんか変に観念的になったり、アートとか言ってまわりがはやしたてたりし出すと、パワー・ダウンして、つまんなくなっちゃったじゃない。

わりと曖昧な精神論だけで始めてしまったから(笑)。だから、別に最初にロックンロールやろうって始めたんじゃないし、好きなことやろうってやったら自然とこういう音になってました。

でもまあ…こういう歌うたえば受けるんだな、みたいなところも未だにあるよ。

ヒロトは…あいつよくわかんないよ、頭良すぎるから。

『夏のぬけがら』の時にアンケートつけてさ、結構みんな書いてくれてさ、僕もそれ読むことあったんだけど、やっぱり『速い曲が少ないですね』とか、『エレキでギャ~ンっていうのが余りなくてがっかり』とかさ。所詮一般的なロックのイメージっていうのはそうなんだ?って。

ロックってスタイルじゃないじゃん。でもやっぱりスタイル的なとこしか見ないっていうかさ。みんな余裕が無いのかもしれないね、たかが音楽に対してそんなに掘り下げてるつもりは俺には無いんだ、他にやることいっぱいあるんだっていうさ。みんなそれぞれ命をかけて追求するものは違うんだしさ。

日本でロックをやるっていうのはアメリカやイギリスのロックンロールとは全然別のものなんだよね。で、ずーっとそのスタイルだけをなぞってきたっていう気がするんだよね、それこそロカビリーの昔からさ。で何かそこですげー本質的なところが抜け落ちたまんまで、ずーっと来ちゃったんじゃないかな。

やっぱビート関係の(アレン・)ギンズバーグとか読んでたしさ。あとホイットマンの詩集とか諏訪(優)さんの詩集とかさ。太宰治とか横光利一とか梶井基次郎とかそんなの読んでたよ、あと井上ひさしのやつとかさ。

いわゆる普通のサラリーマン普通の大人にならなくてもさ、別の生き方があるじゃん?『イージー・ライダー』とかさ――アメリカン・ニュー・シネマとかもその頃熱狂して観てたからさ、『俺たちに明日はない』とかさ。・・・それで萩原朔太郎だったの。・・・惹かれるものがすごくあったんだ。

僕フリクションっていうバンドが好きだったね――それ観に行った時とかもさ、それ観に来てる奴と結構話できそうだなと思いつつも気弱だったからさあ、そのままトボトボ歩いて帰って来てさ(笑)、『ああフリクション良かったな』とか1人でブツブツ言いながらさ(笑)。あんま話しかけられなかった。

ほんと1人だったんだよ恐ろしいことに。だから冬になると憂鬱になっちゃってさ、バイト行くのも面倒臭いしみたいな感じで1人でずーっと昼過ぎまで寝ててさ、あと本読んだりレコード聴いたりして、外に出るのは定食屋にメシ食いに行くだけで、帰って来てあと夜中の1晩中ボーッとしてたしさ(笑)

べつに堕落してたって構わないしさ。人間てもう、堕落してると思うし。もう14,15歳ぐらいで、僕は堕落してると思うんだよ。あとは建前で行くしかないんじゃないかと思うしさ。で、そこで・・・死んじゃったらしょうがないわけじゃない?ねえ?

ジャック・ケルアックとかの本とか読んでさ、俺は自由に生きるんだとか思ってさ、管理されるのは御免だ、なんて御託を並べながらさ(笑)

結構ボブ・ディランとかにも僕は傾倒し始めてたからさ、ウディ・ガスリーとかさ、あと昔のギター1本持ってアメリカ中を旅して歩いたブルース・マンとかいいなあと思って。

当時は長嶋とか江夏とか、ああいうプロ野球の選手がカッコいいなあと思ったり。あるいは軍艦とか戦闘機とか(笑)、そういうものがカッコいいと思っていたから、音楽でカッコいいなんて感覚がある訳ないじゃん!と(笑)。それが友達の家でビートルズを聴いて、ドカーン!ガビーン!みたいな(笑)